「自衛隊に入ればこの世は天国」 防衛省のPRソングとしても秀逸? 1969年・高田渡「自衛隊に入ろう」を考える

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1969年に発表された高田渡の「自衛隊に入ろう」は、当時の自衛隊勧誘の実情を皮肉を込めて描いた異色の楽曲だ。高度成長期の混沌と反戦運動のなかで生まれ、複雑な歴史背景とともに今なお響きを持つこの曲は、国防や自己責任といった現代的課題にも通底する。

勧誘歌の二重構造

高田渡『高田渡/五つの赤い風船』(画像:ソニーミュージックエンタテインメント)
高田渡『高田渡/五つの赤い風船』(画像:ソニーミュージックエンタテインメント)

「自衛隊に入ればこの世は天国」
「鉄砲や戦車やひこうきに興味をもっている方は いつでも自衛隊におこし下さい」

この歌詞が真顔で歌われるとき、そこには二重の問いがある。それは「この国はなぜ軍隊を必要とするのか」という問いであり、同時に「この国はなぜ、こうした歌を真に受けるのか」という問いでもある。

 いい換えれば、この歌は、表面的な意味がそのまま反転して聞こえる構造をもっている。高田自身が

「あれは最初からそういう風に右でも左でもいいようにちゃんと作ったんですよ。誤解するようにちゃんと作ったんです(笑)」(『季刊ユジク』より)

と語ったように、これはポジションを示さない。示さないことで、聴く者のポジションを露わにする装置となる。

 皮肉とは、解釈の余地を意図的に残すことで、受け手の思考を促す戦略である。しかしそれが通じなかったとき、皮肉は成立しない。まさにその通じなさ、「誤読」を誘発する構造そのものが、この楽曲を普遍的にしている。この曲はたしかに笑える。

・道端で配られる勧誘チラシ
・やたら明るいナレーションCM
・体を動かすことが「自己実現」だと刷り込まれる社会

そのすべてを見透かしたような語り口に、かすかなユーモアと脱力がある。

 しかし、笑いのあとには空虚が残る。というのも、この曲の歌詞に示される風景は、すでに「本当にあったこと」だからだ。自衛隊は学歴・経歴不問で人材を募り、装備や訓練に魅力を感じた若者を確実にリクルートし、いまも制度としてその構造を維持している。特定の意図を読み取らずとも、この歌詞を現実だと信じた人がいた――それが事実である以上、この曲の皮肉は冗談にならない。

 そしてこの事実は、いまに続いている。災害派遣やオリンピック警備などで自衛隊が「頼りになる存在」として再評価される一方、防衛予算は過去最大規模にまで膨張し、敵基地攻撃能力や長距離ミサイル保有の議論が現実の政策課題として浮上している。

 つまり、この歌詞が描いた社会像は、未来の風刺ではなく、未来の現実となったのだ。

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