大泉学園駅なのに「大泉学園」という学校が存在しない理由──西武鉄道創業者が仕掛けた、壮大すぎる構想の顛末とは
学園都市構想が生んだ鉄道拠点

大泉学園駅(東京都練馬区)は、西武池袋線の主要駅である。1924(大正13)年に「東大泉駅」として開業し、1933(昭和8)年に現駅名へ改称された。1983年には橋上駅舎を導入。2000年代には連続立体交差事業が進み、2015(平成27)年には再開発ビル「リズモ大泉学園」と直結する改札が新設された。これにより、利便性が大幅に向上し、周辺の都市機能も強化された。
駅構造は島式ホーム1面2線。エレベーターとエスカレーターを完備し、バリアフリーに対応している。文化的な特色として、地元出身の漫画家・松本零士の作品『銀河鉄道999』をモチーフにした駅装飾や発車メロディを採用。地域のブランディングにも寄与している。
2024年度の1日平均乗降人員は8万236人。西武鉄道全92駅のなかで8位に位置する。接続線のない中間駅としては最多の乗降者数を誇る。通勤準急などの速達列車も停車し、沿線住宅地の発展を支える中核駅として機能している。
さて、駅名誕生の背景には、大正期に始まった郊外開発がある。西武グループ(旧コクド・セゾングループ)創業者の堤康次郎は、1920年に箱根土地株式会社を設立。まだ雑木林が広がっていた大泉村(1932年廃止)で、住宅地開発を計画した。
追い風となったのが、1923年の関東大震災。都心から郊外への移住が一気に進み、私鉄沿線の宅地需要が急増する。すでに開通していた武蔵野鉄道(池袋~飯能)沿線でも住宅開発が加速していた。
堤は、現在の練馬区大泉学園町から隣接する新座市栄周辺にかけての土地を取得。当時、関東大震災で校舎を失った東京商科大学(現・一橋大学)を誘致し、学園都市構想を描いた。
1924年、同大学は石神井に仮校舎を設けて授業を再開。郊外移転とともに、新たな学園都市の建設が検討された。これが「大泉学園」の名の由来となった。