率直に問う 「旧車」の魅力とは何か? 不便さを超えた所有価値を考える
自己責任化する旧車維持

アンケートでは、最も多く挙がったトラブルが「雨漏り・水漏れ」だった。次いで「電装系のトラブル」や「異音」なども日常的に発生している。「ライトが突然点かない」「エアコンが効かない」といった症状さえ、“あるある”として受け入れられているのが実態だ。
こうした不具合は、本来なら商品価値を著しく損なう要素である。それにもかかわらず、旧車の世界では所有体験の一部として肯定的に捉えられている。その背景には、いくつかの要因がある。
第一に、製造元がすでに存在しない、あるいは純正部品の供給が不安定であること。第二に、現行車と比べるのではなく「昔のまま」であること自体に価値を見出している点。第三に、維持管理や修理を通じて、オーナー自身が技術者あるいは職人のような役割を担っていることが挙げられる。そこには、
「不便でも手をかける対象にこそ意味がある」
という文化的価値観が見える。だが同時にこれは、製造側や業界が品質保証や供給責任から逃れやすい構造を温存しているともいえる。旧車文化の裏側には、そうした“責任の空白地帯”が広がっている。また、
「同じ車とすれ違わないことが最高」
という回答からは、旧車が自己表現やアイデンティティの象徴として機能している様子が読み取れる。大量生産・均質化が進む現代のクルマ社会において、希少性そのものが無言のステータスとなっている。
しかし、この唯一無二感の裏には制度的な障壁も存在する。例えば、継続車検では旧車の特性を無視して一律の基準が適用される。排ガス規制や安全基準が年々厳格化するなかで、旧車に対する柔軟な配慮は限定的だ。また、保険会社の査定基準が市場実勢と乖離し、十分な補償が受けられないケースも少なくない。結果として、旧車を生活圏に維持し続けるには高い自己負担が強いられている。
「好きで乗っているのだから我慢すべき」
という自己責任の論理がまかり通り、制度的にはオーナーが孤立する構図が常態化している。