吉祥寺なのに「吉祥寺」という寺が存在しない理由──江戸最大の火災が生んだ“地名トリック”の正体
歴史と利便性が交差する本駒込の魅力

本駒込は、文京区の北側にある町である。一丁目から六丁目までの区域に分かれ、住居表示もすでに実施されている。
江戸時代には、各藩の下屋敷や武家屋敷が多く建てられた。明治以降は、政財界の要人がこの地に邸宅を構えた。現在でも山手線内屈指の高級住宅街とされている。町内には、駒込富士神社や駒込天祖神社など、由緒ある寺社が点在している。東京の中心部にありながら、自然が多く残された地域である。
交通の便もよい。東京メトロ南北線の本駒込駅と、JR山手線の駒込駅が利用できる。旧白山通り、本郷通り、不忍通りが交差する上富士前交差点を中心に町が広がっている。
本駒込には、特別名勝に指定された「六義園(りくぎえん)」がある。江戸時代に、徳川五代将軍・綱吉の側用人だった柳沢吉保が、和歌の世界を庭園で表現することを意図して造園した。明治期には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎がこの庭園を購入し、後に東京都に寄贈した。春になると枝垂桜が咲き誇り、ライトアップされた景観が人々を引きつける。
六丁目には「大和郷(やまとむら)」という高級住宅街がある。大和郷会という社団法人が町会を組織し、初代名誉郷長には若槻禮次郎(第25代・28代内閣総理大臣)が就任した。正田美智子(現・上皇后)も學習院を受験するため、この地に一時住んだことがある。さらに、加藤高明、幣原喜重郎、鳩山邦夫といった歴代総理大臣もここに住んでいた。
1998(平成10)年には、不忍通り沿いに文京グリーンコートが完成した。オフィス棟と住宅棟を兼ね備えた複合施設であり、商業施設や飲食店も整備されている。歴史と自然、そして都市機能が調和した町である。
その本駒込に、「諏訪山吉祥寺」という寺がある。江戸時代には、ここに仏教の学問所「旃檀林(せんだんりん)」が置かれていた。これは、現在の駒澤大学の前身とされ、当時は1000人を超える僧侶が学んでいたと伝えられている。
この寺の起源は1458(長禄2)年にさかのぼる。江戸城を築いた太田道灌(1432~1486年)が井戸を掘ったとき、「吉祥増上」と刻まれた金印を発見した。それをきっかけに、城内に小さな堂を建て、吉祥寺と名づけたことが始まりとされている。