吉祥寺なのに「吉祥寺」という寺が存在しない理由──江戸最大の火災が生んだ“地名トリック”の正体
吉祥寺は2025年の「SUUMO住みたい街ランキング」首都圏版で3位に入る人気エリアだ。新宿や渋谷へのアクセスに優れ、緑豊かな井の頭恩賜公園や個性的な商業施設が共存し、幅広い世代に支持されている。歴史的には関東大震災後の急成長と、1960年代の再開発が都市基盤を強化。さらに、古くは文京区本駒込の吉祥寺寺院との繋がりも地域の文化的深みを支える。多様な魅力が都市としての価値を高めている。
吉祥寺の名の謎

なぜこの町が「吉祥寺」と呼ばれているのか。その理由を不思議に思う人は多い。特に地方から東京に来た人の中には、「この町には、かつて吉祥寺という寺があったのだろう」と考える者もいる。門前町だったのではないかと思う人もいるだろう。
しかし、実際に吉祥寺の町を歩いても、その名の寺は見つからない。では、なぜ町の名だけが今も残っているのか。
理由のひとつとして、明治時代に起きた廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を想像する人がいる。これは、明治の初めに全国で行われた仏教排斥の運動である。
当時の政府は、神道を国の中心に据える方針を掲げ、神仏分離政策を進めた。その結果、仏教は時代遅れで外国的な宗教とみなされ、多くの寺院や仏像、経典が破壊された。寺の財産が没収され、僧侶が強制的に俗人に戻された例もあった。
この運動によって、日本の仏教界は大きな打撃を受けた。多くの歴史的文化財もこの時期に失われた。のちに仏教の価値が見直され、廃仏毀釈は誤りだったとされるようになった。
しかし、吉祥寺という寺が完全に失われたわけではない。実際には今も存在している。ただし、それは吉祥寺駅のある武蔵野市ではなく、
「文京区本駒込」
にある。