東京の銭湯経営者に「北陸出身」が多い説は本当? 明治~昭和の鉄道網と生活インフラが築いた「見習い少年」たちのネットワーク
東京や京阪神の銭湯経営者に北陸出身者が多い背景には、明治期以降に整備された鉄道網がある。北陸本線や信越本線の開通により、若者の都市移住と定住が加速し、都市部に下宿や銭湯といった生活インフラが整備された。
鉄道が生んだ都市間人材流動

東京の銭湯経営者に北陸出身者(新潟県・富山県・石川県)が多い――という説がある。京阪神地域でも同様の傾向が指摘されている。いずれも都市部と北陸を結ぶ交通の歴史が背景にある。
この説を裏付ける記事が『北國新聞』(2002年10月8日付)に掲載されている。全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)の大会が金沢市で開催された際の報道である。記事では「父祖の地」での全国大会と題し、
「石川県出身の銭湯経営者は大阪で六割、京都で八割を占め、関東でも新潟に次いで石川や富山、福井の出身者が多い」
と記されている。
都市部への人材移動の背景には、明治・大正期以降に整備された鉄道網の存在がある。たとえば北陸本線や信越本線は、地元を離れた若者が東京や大阪などの都市圏へ向かう主要な交通ルートだった。列車移動が日常化し、地方から都市への定住が現実味を帯びたのである。
さらに、鉄道整備にともない駅前に
・下宿
・寄宿舎
・銭湯
などの都市サービスインフラが形成された。これらは移住後の生活基盤として機能した。交通インフラと生活インフラの連動が、都市への人の流れを加速させたのだ。
現在は北陸新幹線の開業で、北陸と首都圏・関西圏は物理的・時間的に近くなっている。しかし、その基盤は昭和初期にすでに形づくられていた。