東京の銭湯経営者に「北陸出身」が多い説は本当? 明治~昭和の鉄道網と生活インフラが築いた「見習い少年」たちのネットワーク
渋谷に刻まれた新潟の記憶

國學院大學研究開発推進センター渋谷学研究会が編集するブックレット『渋谷学』がある。これは、同大学が2002(平成14)年に創立120周年を迎えたことを記念し、渋谷の街を多様な学問分野から研究するプロジェクトの一環として刊行されたものだ。
研究テーマは文化や歴史が中心だが、古くからの住民への聞き取り調査も積極的に実施されており、地域に根ざした視点が特徴である。その成果は『渋谷学01』(2019年)と『渋谷学02』(2020年)にまとめられ、近現代史研究者・吉田律人による調査報告も掲載されている。
『渋谷学01』に収められた「銭湯と渋谷 都市移住者の視点から」では、東京の銭湯経営者に北陸出身者が多く、そのなかでも新潟県出身者が半数以上を占めると指摘されている。これに対し、既存の新聞報道では富山県や石川県出身者の存在が強調され、石川県を「父祖の地」とする記述もあった。
つまり、北陸三県のうちどの県が中心的な供給地だったのかは一概に断定できない。こうした曖昧さは、食文化分野における「元祖」「発祥」論争にも通じる。主張に対する裏付けが乏しい場合、安易な断定は避けるべきだろう。
一方、『渋谷学』は大学の研究報告であり、裏付けとなる資料に基づいている。吉田氏の調査によれば、1929(昭和4)年当時、現在の渋谷区にあった銭湯102軒のうち、少なくとも7軒が新潟県出身者によって経営されていたという。
さらに同氏は、新潟県のなかでも地域に注目。信濃川下流域の西蒲原郡(現在の新潟市西蒲区や燕市)出身者が圧倒的に多いことを明らかにした。
「水田単作地帯である同地域では、農家の次男以下は郷里を離れる傾向にあり、上京した者の多くが血縁・地縁を頼って銭湯業界に身を投じていった」
と指摘する。個人の移動と地域社会とのつながりを可視化するこの視点は、銭湯という都市文化の背景にある社会構造を読み解く手がかりとなる。