三菱自動車、なぜ中国から完全撤退するのか?「EV比率5割」の中国市場が日本メーカーに突きつけた“エンジン終焉”の現実
中国EV市場の勢力図一変
SAMEは1997年8月に設立された。三菱自動車が25%、三菱商事が9.3%を出資し、最大株主は中国航天汽車有限責任公司(出資比率30%)である。1998年にエンジン生産を開始し、三菱ブランド車にとどまらず、東南(福建)汽車、一汽海馬汽車、瀋陽華晨金杯汽車など中国メーカー各社にも供給してきた。
2009年には、可変バルブタイミング機構「MIVEC」を搭載した小型車用4A9型エンジンの本格量産を開始。2016年には累計販売台数が75万基に達した。顧客ニーズを的確に捉えた高品質製品を供給することで、事業を拡大させた。2017年には累計生産台数が500万基に達し、2025年には700万基を超えた。主力は2.4リッター以下の中小型エンジンだった。
だが、中国での電動化シフトの加速と、それに追随できなかった日本勢の競争力低下が、三菱自の撤退の背景にある。国際エネルギー機関(IEA)によれば、2024年の中国における電気自動車(EV)販売台数は前年比2割増。EVとプラグインハイブリッド車(PHV)の新車販売比率は5割に迫る。
BYD、NIO、小鵬など中国EVメーカーの台頭により、エンジン車を主軸とする日本勢は後れを取った。ホンダは広汽本田の第4工場など計3工場を閉鎖・休止し、生産能力を149万台から100万台に縮小。日産も2024年6月、常州工場を閉鎖した。これは中国生産能力の約1割に相当する。
三菱自も例外ではない。2017年には10万台を超えていた中国販売台数は、2022年に4万台を割り込むまで低迷した。2023年10月、広州汽車集団との合弁で運営していた長沙工場を閉鎖。三菱ブランド車も中国市場から撤退した。工場はEV専業のAIONへ転用された。
三菱自の撤退は、事業整理ではない。「製品開発の遅れ」「現地化戦略の限界」「意思決定の遅さ」といった複数の弱点が重なり、中国事業の持続可能性を自ら失っていった結果である。