多摩ニュータウンに「都内最古の陸橋」がある理由――戦後開発の街に、いったいなぜ?

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東京都西部の多摩ニュータウンは、約2884haに及ぶ日本最大級の大規模ニュータウンだ。起伏の激しい地形に対応し、200を超える橋梁を整備。1960年代から始まった開発は、住宅供給から質の向上へと方針転換し、教育や商業機能も充実させた。一方、老朽化や少子高齢化が課題となるなか、長池見附橋の移設保存は、歴史と現代を融合する持続可能な都市づくりの象徴となっている。

「都内最古」陸橋の謎

長池公園(画像:写真AC)
長池公園(画像:写真AC)

 そんな多摩ニュータウンだが、比較的新しい街であるにもかかわらず、

「都内最古の陸橋」

が存在する。京王線の京王堀之内駅と南大沢駅の南側に位置する長池公園(八王子市別所)内にある「長池見附橋」がそれだ。

 長池公園は2000(平成12)年に開園し、多摩ニュータウン西部で最大規模の公園である。公園は歴史的な背景を持つ場所に位置している。湊川の戦いで戦死した南朝の武将・小山田高家の妻、浄瑠璃姫が夫の後を追い、薬師如来像を背負って入水したと伝えられている。その後、引き上げられた薬師如来像を祀る薬師堂が建てられた場所だ。近年ではテレビドラマのロケ地としても知られている。

 長池公園自体は開園から25年と新しいが、長池見附橋が都内最古の陸橋である理由は特異だ。この橋は、もともとJR中央線四ツ谷駅付近にあった四谷見附橋を移築したものである。

 1913(大正2)年、初代の四谷見附橋は東京市によって建設された。当時、国内で2番目に建設された鋼製アーチ道路橋である。設計を担当したのは、日本橋も手がけた東京市技師の樺島正義(かばしままさよし)だ。橋はネオバロック様式で仕上げられ、優美なデザインが特徴である。

 この洗練された意匠は、近くにあった迎賓館(旧赤坂離宮)との調和を意識したものであった。迎賓館もネオバロック様式のため、双方のデザインが美しく融合している。かつては橋の上から赤坂離宮を望むことも可能だったという。

 アーチ型の橋脚や花模様の装飾が施された欄干、そして文明開化の香りを残す橋灯など、モダンで趣深い造りは長らく四谷の象徴として親しまれた。なお、国内最古の橋は大阪市の木町橋であり、調査によれば四谷見附橋より4か月早く完成していたことが明らかになっている。

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