明日は「海の日」 そのルーツは“伝説の船”にあった!──東京・越中島に眠る「明治丸」をご存じか

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「海の日」は2025年に30回目を迎える。由来となる明治政府の鉄製灯台巡視船「明治丸」は、明治天皇の乗船を機に海洋国家日本の象徴となった。物流の99%を海運に依存する現代日本にとって、海の恩恵を再認識する節目として重要な祝日である。東京海洋大学で保存される「明治丸」とともに、その歴史と意義を改めて見つめ直す。

明治天皇巡幸と海の日起源の物語

明治丸(画像:写真AC)
明治丸(画像:写真AC)

 1875(明治8)年に横浜に回航した明治丸は、灯台巡航の任務に就いた。当時最新鋭の船だったため、灯台巡視船以外の役割も多く担い、日本の近現代史に足跡を残している。象徴的な出来事のひとつが、同年の小笠原諸島への派遣である。当時、小笠原諸島は領有問題が起きていたが、明治丸は明治政府を乗せて英国の船より早く小笠原諸島に到達し、日本領とした。小笠原諸島は日本の排他的経済水域の約3割を占めており、海上交通の安全確保や海洋資源の開発・利用といった国家の安全・経済にとって重要な役割を持っている。

 明治丸は一等飛脚船に匹敵する豪華な仕様を備え、特別室やサロンも設置していた。そのためロイヤルシップの役割も果たしていた。1876年には明治天皇が東北・北海道を巡幸した際、青森から乗船し、7月20日に横浜に到着している。この日が後の「海の日」の起源だが、祝日として制定されたのは昭和に入ってからである。

 1897年に後継船が登場すると、明治丸は商船学校(現・東京海洋大学)に譲渡され、係留練習船として50年にわたり5000人余りの乗組員を教育した。1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲時には被災者の救護にも活用された。

 その後、老朽化により80年にわたる任務を終え、陸上に固定された。1978(昭和53)年には鉄船時代の造船技術を伝える貴重な遺産として、船として初めて国の重要文化財に指定された。現在は東京海洋大学越中島キャンパスで保存・公開されている。

 明治天皇が乗船し横浜に到着して65年後の1941年7月20日、「海の記念日」として定められた。当初は国民の祝日ではなく、海の恵みに感謝し日本の海洋国としての発展を願う日と認識されていた。やがて海事関係者を中心に国民の祝日にする動きが高まり、1996(平成8)年に「海の日」として制定された。2003年には祝日法が改正され、祝日を月曜日に移動させて3連休を増やす「ハッピーマンデー制度」が導入された。その結果、従来の7月20日から7月の第3月曜日に変更された。

 この祝日は単なる出来事の記念日ではない。四方を海に囲まれた日本が古くから海洋国であり、

・外国からの文化伝来
・人の往来
・物資輸送
・産業
・生活

などあらゆる面で海と深く関わってきたことを再認識する日である。「海の日」を中心に、毎年7月は海の月間として全国で関連イベントが開かれている。2025年は「海の日」30回目の節目の年であり、「海の日記念行事2025」が東京国際クルーズターミナルで開催される。自動車運搬船の乗船体験(現在は申込み終了)や、海の日にちなんだブースも出展される予定だ。

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