駅ビルはいつから「おしゃれ」になったのか?――若者文化と高級ブランドが導いた商業空間の変貌

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駅ビルが“ただの通過点”だった時代は終わった──。1989年の国分寺エル開業を皮切りに、JRは商業施設の直営化とデザイン刷新を本格化。吹き抜け空間や高級ブランドを導入し、駅周辺の人流・文化・消費行動を大きく変えていった。その進化の起点と経済的インパクトを辿る。

ターゲット明確化の先進事例

アトレ四谷(画像:写真AC)
アトレ四谷(画像:写真AC)

 アトレ四谷は、従来の駅ビル像を覆す先進的なデザインで登場した。外観はモノトーン調でファッションビルのような佇まい。エントランスホール上部には吹き抜け空間を設け、らせん階段も配置されていた。当時としては、駅ビルとは思えないほど洗練された設計だった。

 建物デザインのコンセプトは「自然の中の“館(やかた)”」。東京圏駅ビル開発の営業部担当次長(当時)はそう語っていた。館内では、木製の手すりや石張りの床など、自然素材を積極的に採用。丸柱と約150平方メートルの吹き抜け空間によって、クラシックかつ高級感のある雰囲気を演出した。

 周辺エリアは落ち着いた高級住宅地。グレードの高いマンションも増えており、代官山や西麻布のような“雰囲気を楽しむ街”としてのポテンシャルがあった。施設のターゲットは「リッチでファッショナブルな女性」。開業時の『読売新聞』(1990年9月29日朝刊)でもそう紹介されている。

 従来のJR駅ビルは、テナントへの賃貸による収益確保が基本方針であり、JRは“ビルの大家”にすぎなかった。だがアトレ四谷は、この方針を転換。JR東日本と子会社が企画から運営までを担う“直営型駅ビル”の第1号としてスタートした。

 開業時のJRの熱意も強かった。1階には基礎化粧品店「シャン ド エルブ」、上階にはイタリア料理店が直営店舗として入居。以降、JRは大井町駅ビルの開発にも着手し、首都圏の駅ビルは徐々に洗練された商業空間へと進化していく。

 現在、おしゃれな駅ビルは標準的な商業インフラとして定着している。しかし、その整備が始まってから約30年と歴史が浅い点は、交通と商業施設の連携が急速に進んだ証拠だ。駅という交通の要所での商業空間の変化は、単なる施設の刷新を超えている。地域経済の活性化や人の流れ、消費行動の根本的変化を促し、都市経済の構造転換に大きく貢献している。

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