駅ビルはいつから「おしゃれ」になったのか?――若者文化と高級ブランドが導いた商業空間の変貌
中央線カルチャー発信地の進化

中央線沿線で駅ビル建設が本格化したのは1980年代前半からだ。
1981(昭和56)年には荻窪駅に「ルミネ荻窪」が開業。翌1982年には立川駅に「WILL」(現・ルミネ立川)、1983年には八王子駅に「ナウ」(現・セレオ八王子)がオープンした。こうしたなかで、前述の国分寺エルが特に注目されたのには理由がある。
国分寺はもともと、吉祥寺・高円寺と並ぶ「三寺(さんでら)」の一角として、中央線文化の中心地だった。
駅周辺にはジャズ喫茶や古本屋が軒を連ね、常に若者で賑わっていた。なかには大学を卒業しても就職せず、ブラブラ過ごしたり、店を開いて定住したりする若者もいた。そうした空気が独自の文化を形成していた。世界的なベストセラー作家・村上春樹も、作家デビュー以前に国分寺でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を経営していたことが知られている。
国分寺エルが登場する以前の国分寺は、若者にとっては居心地がよくても、生活利便性には乏しい街だった。
再開発が進む現在とは異なり、当時の国分寺は雑然としていた。なかでも人の流れの中心だったのが北口の駅前通り、大学通り、西通りである。パチンコ屋やゲームセンター、喫茶店などが密集していた。
学生向けの店舗は豊富だった一方、生活に不可欠なスーパーマーケットは、駅前の小規模な西友と長崎屋に限られていた。他に大型商業施設はなく、買い物面では不便さが残っていた。
その状況を一変させたのが、南口にオープンした国分寺エルである。地下には丸井の食品スーパー「食遊館」が出店。人の流れは一気に南口へとシフトしていった。
なかでも注目を集めたのが、単身者や核家族をターゲットにした少量パックの総菜だった。現在では一般的な商品だが、当時としては画期的なスタイルであり、瞬く間に地域住民のニーズをつかんだ。