成田エクスプレスは開業当初、千葉県内を「全駅スルー」していた!

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成田エクスプレスは1991年の運行開始以来、東京と成田空港を高速で結ぶ空港アクセス列車として機能してきた。しかし千葉駅の特急激減に地域から強い反発が起こり、1992年以降徐々に停車本数が増加。2010年代以降は羽田空港の国際線拡大や格安バスの台頭により競争が激化。成田エクスプレスは空港利用だけでなく沿線住民の移動需要にも対応し、役割転換を迫られている。

政令指定都市の試練

成田エクスプレス(画像:写真AC)
成田エクスプレス(画像:写真AC)

 千葉県は、県庁所在地の中心駅で特急が激減することに危機感を抱いていた。これは県のイメージダウンにつながると考えられていたためだ。

 千葉市の状況はさらに深刻であった。1992(平成4)年4月に政令指定都市となる予定で、発展が見込まれていたからだ。にもかかわらず特急が停車しない状況は、市民の大半から「許されない」との声が強まった。

 これに対しJR東日本は『朝日新聞』1990年12月22日付で

「反発は覚悟のうえ」

と強気の姿勢を示した。成田空港利用者のなかで、千葉駅で乗降する人はほとんどいなかったためである。当時は

「なぜ千葉駅に停車させて利便性を下げるのか」

との意見が多かった。また、ダイヤ改正により成田~千葉駅間の快速電車は増発され、沿線の利便性はむしろ向上すると考えられていた。

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