埼玉・熊谷市――県北のド田舎に「駅前だけ大都会」が生まれた根本理由

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埼玉県北部の熊谷市は、昼間人口比率97.5%と高い定着率を背景に、駅前再開発で商業・行政・文化機能を集中。独自の都市モデルが人口減少時代に示す持続可能性と課題を探る。

駅前に資源を集中した都市政策

熊谷市(画像:写真AC)
熊谷市(画像:写真AC)

 熊谷市も、1990年代以降に訪れた郊外化の波を免れたわけではない。国道17号や県道沿いには郊外型商業施設が立ち並び、車社会に依存する典型的な地方都市の風景が広がっている。

 しかし熊谷の場合、郊外化が進行しても、駅前の都市機能は失われなかった。郊外に商業施設が拡大する一方で、駅前には商業・行政・文化の機能が集まり続けてきた。結果として、県北最大の都市空間という性格を保ち続けている。

 駅前の再開発が本格化したのは2000年代の北口からである。2004(平成16)年、市が熊谷駅アズ熊谷本館とニットーモールの間の土地を取得し、ティアラ21を整備した。駅ビルとニットーモールの動線を一体化させる大規模プロジェクトだった。これにより、かつて雑然としていた商店街は複合施設へと生まれ変わった。

 南口では1990年代から整備が始まっていた。ロータリーの設置、駅南通りの拡幅、市役所や図書館など公共施設の集約が進められ、都市の「顔」が形づくられていった。

 整備が進む以前の熊谷は、北口に偏った都市構造だった。拡張性に乏しく、バランスを欠いていた。しかし南口開発により、都市機能が分散し、拠点性はさらに高まった。特に、荒川対岸の万吉・江南方面へのバスを南口から発着させたことで、国道17号や跨線橋の渋滞を回避できるようになり、アクセス性も大きく向上した。

 熊谷市は、コンパクトシティという言葉が注目されるよりも前から、郊外への拡散ではなく「駅前の密度」で都市性を維持する戦略をとっていた。

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