「タワマン新住民」と旧住民は共存できるのか? 「快適さ」が街の歴史を破壊する根本理由 識者が警鐘を鳴らす“クソ社会化”のリアルとは
SNSで話題となった「うなぎ店クレーム騒動」は、東京の再開発地域で進む“新住民化”の象徴だ。生活文化と快適性が衝突する都市の摩擦は、今や全国で可視化されつつある。求められるのは、制度としての「共生の設計図」――全国に8,000棟を超える高層集合住宅時代の新たな課題だ。
説明責任としての地域性

このような摩擦を減らすために大切なのは、生活圏についての説明責任である。不動産業者や開発業者は、物件を紹介するとき、
「まわりに何があるか」
「地域ではどのような暮らしが行われているか」
を、しっかりと伝える必要がある。
パンフレットに書かれている商業施設や、駅までの所要時間だけでは足りない。
「朝7時に開くパン屋がある」
「夏には神輿が町を通る」
「昼どきに老舗の店から煙が上がる」
といった具体的な情報がなければ、新しく住む人は地域をただの空間としてしか見られない。
行政にも役割がある。地域の変化に対応するため、調整の役目を果たさなければならない。開発が行われるときは、都市計画の段階から地元の住民と話し合い、どこで摩擦が起こりそうかを前もって調べるべきである。
住民説明会やまちづくり協議会といった仕組みを整え、新しく来た人と昔からいる人が交流できる場を意識してつくる必要がある。そうしなければ、都市の中には解けない対立が残ってしまう。
現代の都市では、いつまで住むかわからない暮らし方も、この問題をより複雑にしている。転勤、生活スタイルの変化、投資目的の住宅購入などにより、人はその土地に「住んでいるけれど、関わっていない」状態になりやすい。
地縁や血縁、商店街のようなつながりが弱くなり、人々の感覚は生活のなかの小さな違いや不快感を排除する方向へと進みがちである。
このままの状態を放っておけば、地域に根づいた文化や歴史、小さな商売の土台が不安定になる。それは都市の見た目を同じようにし、都市の魅力そのものを失わせることにつながる。
なぜなら、都市の価値は、高い建物の景色や新しい駅前のきれいさだけではなく、その土地にしかない経験があるかどうかで決まるからである。