東京の地下鉄が「クネクネ曲がっている」根本理由――都市の隙間を縫う100年の歴史とは
三越前まで21年の苦闘

このように、東京の地下鉄は
・経済的制約
・土地所有制度
の影響下で建設されてきた。それを変える一歩として、1988年に運輸省が打ち出したのが大深度地下鉄構想である。地下50m以上を通る場合、地権者への補償を原則不要とする制度で、2001年には大深度地下利用法として立法化された。
しかし、この制度が即座に地下鉄建設の自由度を広げるわけではなかった。施工には高度な掘削技術と安全性確保のための膨大な追加コストがかかる。さらに駅設備の設置には、昇降エレベーターの設計や避難経路の確保といった課題もある。技術面では国鉄時代から鉄道総合技術研究所が地下50mでの鉄道敷設を研究していたものの、実現に至るには長い年月が必要だった。
一方で、半蔵門線の建設にも顕著な困難があった。1968(昭和43)年に構想されたこの路線は、都心のなかでも特に政治中枢を通過する。永田町や神保町、大手町などで新たな駅を設置し、既存路線と接続させるには、高度な精密施工が求められた。渋谷~青山一丁目間の開通は1978年、永田町までの延伸は1979年、最終的に三越前まで開通するのは1989年であり、20年近くかかった。すでに地上都市が高密度で成立しているなかで、物理的な隙間を掘り進むためには、直線よりも柔軟なルート選択が必要とされた。
こうした事情を総合すれば、東京の地下鉄が直線的なルートを描けなかったのは当然の帰結といえる。大阪が直線的な道路網とそれに沿った地下鉄を持つのに対し、東京は歴史的・法的・地形的要因が絡み合い、曲がりくねった都市交通となった。
加えて、開発費用の制約もある。例えば、
・新線開通の際に新たな用地を確保するための費用
・既存の空間を避けて湾曲した路線を採るための費用
とでは、前者のほうが圧倒的に高くつくことが多い。これにより、都市設計上望ましい直線路線は後回しにされ、より現実的な曲線路線が優先される。この判断の積み重ねが、現在の東京地下鉄網を形成しているのだ。