茨城空港「首都圏第三空港」の夢は消えた?――常磐線アクセス改善で“マイルドな地方空港”へ変身、今後を考える

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開港から15年が経ち、茨城空港のポジショニングは大きく変化した。首都圏を背負わないかたちで進む「地方空港化」は、ゆるやかな成長なのか。それとも静かな限界なのか。

国内線18便の中堅空港像

出発を待つ春秋航空の航空機(画像:菅原康晴)
出発を待つ春秋航空の航空機(画像:菅原康晴)

 茨城県は第三空港という看板を完全に下ろしたわけではない。ただ、その意味合いは大きく後退し、実態としては

「マイルドな地方空港」

へと大きくシフトしたといえる。羽田や成田との役割分担が明確でなかったことが、ブランディングの失敗を招いた面もある。

 そもそも第三空港という言葉は、空港政策におけるポジションを言語化したものだ。だが、茨城空港に限っていえば、その呼び名はすでに陳腐化しているといわざるをえない。

 もっとも、平時のブランディングとは別に、茨城空港には注目すべき要素がある。それは、災害時などの有事に機能するバックアップ空港としての意義である。茨城空港は、県内だけでなく、首都直下地震など広域災害時に、周辺地域の支援拠点となることを目指している。実際、2011(平成23)年の東日本大震災では、羽田空港や神戸空港との臨時便を運航し、緊急支援物資の受け入れなどを行った実績がある。

 では、「マイルドな地方空港」とは何か。現在、茨城空港の国内線は1日4路線・18便。地方空港としては、決して大きくはないが、かといって小さすぎるわけでもない。拠点空港ではないが、過疎空港ともいい切れない。その中間的な立ち位置こそが、「マイルドな地方空港」とされるゆえんだ。

 第三空港の看板を今後も掲げるかどうかはともかく、これからは

・北関東の地方空港
・バックアップ空港

といった、相対的な役割の位置づけが重要になる。

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