日産、採算度外視の「切り捨て」か? NV200バネット生産終了・湘南工場閉鎖が示す、高収益化への「痛すぎる決断」
九州シフトが意味するもの

日産車体九州は、日産車体が全額出資する製造子会社である。福岡県京都郡に2007(平成19)年5月に設立され、2010年1月から本格稼働を開始した。隣接する日産自動車九州工場と連携しながら、高付加価値車種であるインフィニティ「QX80」、パトロール、アルマーダ、エルグランドなどを生産している。
九州への集約には、部品調達距離の短縮や物流の簡素化といったコスト削減だけでなく、輸出拠点としての再配置という意図もあった。輸出比率が高まるなか、港湾へのアクセスや通関対応の面でも九州は好立地とされ、日産にとっては費用構造を見直し、利益の最大化を図る戦略拠点と位置付けられている。
この地域にはトヨタ、ホンダ、ダイハツも集積しており、サプライチェーンの密度と柔軟性において競争優位が形成されている。生産はもはやどこでもできる業務ではない。「どこで行うか」が、調達、労務、輸送、通商といった複数のコスト要素を左右する時代に入った。その文脈で、湘南工場から日産車体九州への人員移管は、企業の損益構造を根本から組み替える戦術的な選択といえる。
湘南工場の閉鎖は、地域との連動を前提とする旧来の生産モデルからの明確な離脱を意味する。地域雇用や土地との関係性に配慮してきた日産の製造哲学も、ここにきて構造的な限界を露呈した。
トヨタが愛知を、ホンダが北関東を中核に供給網を築いてきたのに対し、日産は国内生産を全国に分散してきた。しかし、この分散構造は必ずしも費用対効果に結びついていなかった。
・労務コスト
・設備維持費
・物流効率
・製造機能の重複
など、複数の課題が絡み合い、再編の必要性は避けられなくなっていた。今回の湘南工場の閉鎖は、特定車種の生産終了と同期している点でも異例である。通常、工場閉鎖に際しては代替車種の生産移管が行われるが、NV200バネットは生産終了とともに市場からも姿を消す。これは商品ラインそのものの見直しという、より根源的な取捨選択の結果である。
NV200バネットは2007年の東京モーターショーで発表されたコンセプトを起点に、2009年に市販化された。以降、世界各地での現地生産を通じて、日産の小型商用バン戦略を支えてきた。しかし、開発から15年以上が経過し、新たなパワートレイン規制や車載テクノロジーの更新スピードに対応しきれなくなっていた。加えて、海外向けOEM供給先の離脱や、自社販売台数の頭打ちも重なり、市場での役割を終えつつあった。日産はここで、限界を迎えた車種を温存せず、見切るという判断を下した。
この決断は、何を作り続けるかではなく、
「何を切り離すか」
に軸を置いた構造的な選択である。生産拠点の再配置と車種ポートフォリオの整理を同時に進めることで、日産はより俊敏で高収益な生産体制への転換を図っている。
今後、国内外を問わず、採算が取れないモデルや老朽化した生産拠点は順次整理されるだろう。これは一企業の再建策にとどまらず、変化する産業構造に対応するための適応戦略でもある。湘南工場の閉鎖とNV200バネットの終了は、製造業において選択の精度がかつてないほど問われる時代の到来を象徴している。