奈良が「オワコン」なんて誰が言ったんだよ(怒)
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世界遺産と古都の風情を擁しながら、なぜ奈良は“通過都市”であり続けるのか。観光資源の豊富さに反して、受け皿や戦略の不備が浮き彫りになる。京都との比較から、奈良観光の根本的課題を探る。
“橿原完結型”が生む周遊断絶

現在の奈良県の観光動線は、奈良市を起点に中南和へ観光客を自然に誘導する仕組みがほとんど整っていない。中南和を訪れる観光客の多くは、最初からその地域を目的地として行動しており、奈良市との連動性はほとんどない。
例えば、橿原市観光協会の案内を見ると、アクセス情報は東京・大阪・京都から直接橿原に来る人を想定しているように見える。観光案内そのものが「橿原に来たら橿原で完結してください」という自己完結型の構造になっている。奈良市と橿原市の距離は近鉄・JRともに乗り換えが必要だが、所要時間は30~40分程度だ。
この結果、奈良市を訪れる観光客も、橿原・明日香・宇陀を訪れる観光客も、それぞれ単発の訪問で終わってしまう。
「奈良県全体を周遊して楽しむ」
という観光体験が生まれにくくなっている。本来であれば、奈良市で大仏や興福寺を見学したあと、飛鳥地方で古代の都を感じ、さらに吉野の山々や温泉地へと足を延ばす――そんな周遊ルートがあって当然だ。しかし現実には、各地の観光地がバラバラに存在し、自己完結型にとどまっている。そのため、奈良県全体の観光ポテンシャルは十分に生かされていない。
奈良市内の徒歩圏で完結する観光に安住してきたことが、結果として奈良観光全体の発展を制約してきた。奈良観光を本当に復活させるには、
「奈良市を起点に中南和を有機的に結び付ける周遊動線」
の再設計が必要だ。県全体を楽しむ観光体験への転換が不可欠である。では、行政はこの問題をどう認識しているのか。