小湊鉄道「京成グループ再編」から置き去り? なぜ対象にならなかった? 100周年でも赤字続き…過去には壮大な直通計画も! 独立維持か再編か

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日本の地域交通の要である小湊鉄道が、設立100周年を迎えた。しかし、コロナ禍での大幅な赤字やインフラ投資の遅れなど、依然として経営難に直面している。これからの100年を支えるためには、地域の支援と新たなビジョンが不可欠だ。

千葉新線、実現しなかった壮大な構想

ちはら台駅から海士有木駅方面へと延びる京成千原線予定地。村田川の手前で途切れている。2025年3月10日撮影(画像:大塚良治)
ちはら台駅から海士有木駅方面へと延びる京成千原線予定地。村田川の手前で途切れている。2025年3月10日撮影(画像:大塚良治)

 ところで、小湊鉄道にはふたつの延伸計画があった。

 ひとつめは、安房小湊(現・鴨川市)への延伸計画である。小湊鉄道線は、1928(昭和3)年5月16日に上総中野駅まで延伸した。1934年8月26日には、鉄道省(後の日本国有鉄道)木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が同駅まで延伸し。小湊鉄道線とつながった。なお、小湊鉄道ウェブサイトには、安房小湊への延伸は「中止」ではなく「中断」と記されている。

 もうひとつは、千葉方面への延伸計画である。1957年12月27日に、同社は「千葉新線」(海士有木〈あまありき〉~京成千葉(現・千葉中央))に係る鉄道敷設免許を取得した(小湊鉄道ウェブサイト、『京成電鉄100年の歩み』)。この計画は、京成電鉄と深い関わりを持つ。

『京成電鉄五十五年史』によると、1964年8月18日、同社は江東区東陽町からオリエンタルランドや千葉港などを経由して千葉市千葉寺へ至る36.2kmの鉄道敷設免許(京成新線)を申請した。千葉寺で京成新線と小湊鉄道千葉新線を接続させ、直通運転を行うという壮大な構想だった。同年史によると、京成電鉄が小湊鉄道を傘下に収めた時から、京成線と小湊鉄道線を直結させる構想を立てていたという。だが結局、京成新線は実現せず、ほぼ同様の経路に京葉線が開業している。

 小湊鉄道千葉新線についても、同社が建設費用を単独で用意することは困難だったことから、鉄道建設を促進するために、1973年2月21日、京成電鉄と小湊鉄道の共同出資により千葉急行電鉄が設立され、1975年12月20日に千葉新線に係る免許を小湊鉄道より譲り受けた。1992(平成4)年4月1日に千葉急行線千葉中央駅~大森台駅間4.2kmが単線で先行開業した後、1995年4月1日に大森台駅~ちはら台駅間6.7kmも単線で開業した。

 ちはら台駅への延伸後も、沿線人口の伸び悩みや高騰した建設費を回収するための高運賃などにより千葉急行線の利用は低迷し、1997年度末時点で千葉急行電鉄の累積損失は106億円、債務超過は72億円に及び、同社は清算されることになった(『ちばとぴ!タウン』。

 1998年10月1日、千葉急行線は京成電鉄へ経営移管され、京成千原線となった。それに伴い、ちはら台~海士有木間の免許も京成電鉄に引き継がれた。

 市原市辰巳台地区には、千原線の予定地が確保されている。そのうち、市原市が駅前広場用地として保有する土地については、有効活用に向けた調査が着手された。同市都市計画課の担当者は

「千原線の延伸が具体化したときのために撤退できることを前提として、活用方法を検討している段階にある」

と説明する。

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