大河ドラマ「べらぼう」で吉原が観光地化? 遊女、娼婦、芸者…「美化された歴史」の裏で聞こえる骨肉の叫び、「脱色」観光の危険性を考える

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NHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』の放送が話題となるなか、吉原を巡る観光施設や地域振興の動きが加速している。しかし、その華やかさの背後にある複雑な歴史や現代の観光開発との矛盾が浮き彫りになり、歴史理解を深めるための課題が顕在化している。

「見えにくさ」が語る社会構造

三ノ輪駅から吉原大門跡までの徒歩ルート(画像:Merkmal編集部)
三ノ輪駅から吉原大門跡までの徒歩ルート(画像:Merkmal編集部)

 さらに注目すべきは、現在の吉原エリアの交通アクセスが示す歴史的な“連続性”である。最寄り駅の三ノ輪駅や入谷駅からは徒歩10分超で、一見便利に思えるが、「最後の一区間」は必ず歩かなければならない立地にある。

 実際、吉原の風俗店の多くはJR山手線の鶯谷駅から送迎サービスを提供している。上野の隣に位置しながら「目立たない駅」として知られる鶯谷駅からの送迎は、江戸時代から続く隔離性の現代版ともいえる。

 江戸時代、吉原は市中から意図的に離れた場所に設置されたが、現代の性風俗産業も「見えにくい場所」に存在するという社会的構造は変わっていない。したがって、吉原を観光地として捉える際には「江戸文化の発信地」として単に脱色・脱臭するのではなく、この

「行きづらさ自体」

も歴史的文脈として伝える価値がある。

 吉原の歴史と真摯に向き合うためには、「ダークツーリズム(悲劇や苦しみの歴史の舞台を観光する旅行)」といった曖昧な言葉に頼るべきではない。過去と現在が「地続き」であることを認め、その複雑な実態を含めた観光のあり方を模索する必要がある。

 現実から目を背け、華やかな部分だけを切り取った観光開発は、歴史の本質的な理解からますます遠ざかるだろう。死んだ遊女が投げ込まれた南千住の浄閑寺、その供養塔(1963年建立)に刻まれた

「生まれては苦海、死しては浄閑寺」

がそれを物語っている。

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