創業者は「トヨダ」なのに なぜ企業名は「トヨタ」なのか?

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豊田式織機製作所から独立する形で誕生したトヨタ自動車工業。発足当時は「工業」という文字が社名に入っていた。

織物から自動車へ

トヨタ自動車のロゴマーク(画像:(C)Google)
トヨタ自動車のロゴマーク(画像:(C)Google)

 日本が世界に誇る産業分野のひとつに自動車製造業がある。言うまでもなく、日本車のトップメーカーは愛知県豊田市に本社を置くトヨタ自動車(以下、トヨタ)で、トヨタの時価総額は年初で40兆円を超えた。

 トヨタ車は日本国内のみならず世界各国でも走り、自動車の保有台数が多くない新興国などでは「日本車=トヨタ車」というイメージすら定着している。

 そんなトヨタだが、自動車メーカーから発足した企業ではないことはよく知られている。もともとは織物関連の機器を製造するメーカーで、現在でもトヨタの源流企業として豊田自動織機が愛知県刈谷市に本社を構えている。

 織物関連の機器を製造していたメーカーが、なぜ自動車の製造に乗り出したのか? それは、父・豊田佐吉の事業を手助けするために東京帝国大学で工業機械を学び、技術者として勤務していた長男の豊田喜一郎が最新機械を視察するために1921(大正10)年に渡米したことがきっかけだった。

 当時の日本では、まだ自動車は数えるぐらいしか走っていなかった。そのため、自動車は富裕層が所有するものという概念が定着していた。当然ながら、自動車の販売台数も少なく、自動車製造は採算がとれるビジネスになり得なかった。

 他方、アメリカでは自動車があちこちに走り、必ずしも富裕層だけものではなかった。そうした状況を目の当たりにし、喜一郎は日本でも自動車が一般家庭に普及すようになると考えた。

 帰国した喜一郎は織物機械の技術者という仕事に忙殺され、なかなか自動車の研究に取り組むことができなかった。

 翌年、今度はイギリスへ織物の技術者として研修に出掛け、そこでも自動車の普及に目を奪われる。それでも、喜一郎が自動車製造へ踏み出すことにちゅうちょした。