「軍事マニア」はなぜ劣化したのか? ミリタリー記事が「スーパーカー記事」に酷似する構造的理由! 性能至上主義&批評不在がもたらす「思考停止」のワナとは
ミリタリー記事は、数字の羅列と性能至上主義、そして批評の欠如という独特のスタイルを持つ。それは、かつてのスーパーカー記事の手法を引き継いだものだ。本質を問わず、高性能=優秀という単純化された評価軸が生まれ、やがて暗記の文化へと変質していった。では、なぜこうした形式が定着し、軍事趣味の思考を狭める結果を招いたのか。その背景を掘り下げる。
劣化の原因

なぜ、ミリタリー記事はスーパーカー記事に酷似するのか。
その起源はライターの流入である。ブームでデビューしたライターが1980年代以降軍事趣味誌に移り、同じ手法で記事を書いた。それが契機だろう。
そして記事は80年代読者に刺さった。軍事趣味誌の中核層はかつてスーパーカー記事の熱心な小読者である。無味乾燥な学習図鑑的な記事を望む素地があった。
そして再生産によりミリタリー記事の標準となった。今ではざっと3回転はしている。団塊ライターの記事を読んだ団塊ジュニアが趣味誌ライターとなり、その記事を読んだZ世代ライターによる記事再生産が始まっている。
軍事趣味が劣化した原因でもある。スーパーカー同然に数字以下の暗記がマニアの道となったからだ。その結果、思考や理解に至るまでテンプレの暗記に堕している。
「それは『戦車不要論』だ」は好例である。戦車戦力の見直し論に対し、今のマニアはその反応しかできなくなっている。劣化の結果、
・予算上の制約
・海空戦力の優先
・内陸決戦戦力の過剰
といった批判的、抽象的な思考は理解できなくなっている。ミリタリー記事の振り付けどおりにしか考えられなくなっているのである。