「軍事マニア」はなぜ劣化したのか? ミリタリー記事が「スーパーカー記事」に酷似する構造的理由! 性能至上主義&批評不在がもたらす「思考停止」のワナとは

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ミリタリー記事は、数字の羅列と性能至上主義、そして批評の欠如という独特のスタイルを持つ。それは、かつてのスーパーカー記事の手法を引き継いだものだ。本質を問わず、高性能=優秀という単純化された評価軸が生まれ、やがて暗記の文化へと変質していった。では、なぜこうした形式が定着し、軍事趣味の思考を狭める結果を招いたのか。その背景を掘り下げる。

性能至上主義

東京・後楽園球場で行われた、交通遺児チャリティー スーパーカー・フェスティバル。1977年3月21日撮影(画像:時事)
東京・後楽園球場で行われた、交通遺児チャリティー スーパーカー・フェスティバル。1977年3月21日撮影(画像:時事)

 第2は、性能至上主義である。評価軸を性能にだけに絞る。性能が高いことを尊いとする価値観である。

 スーパーカー記事の評価軸は速力以外はなにもない。「速いことはエラい」の価値観で統一されていた。すべてを最高速力と加速性能、あとは道路粘着力に帰結させる世界である。

 実世界にある多様性は反映しない。

 自動車ひいては輸送機械には速力以外の評価軸がある。スーパーカーのような「速い車」でも「運転のしやすさ」や「乗り心地」も評価軸となりうる。

 だが、記事では一切無視する。想定読者の興味は向かない。記事を読んで車を買うわけでもない。だからどうでもよかったのだろう。

 ミリタリー記事も同じである。評価軸は機械性能や高度技術の適応だけである。「高性能だからエラい」「新技術だからエラい」しかない。

 これも正確に間違える原因である。高性能や最新技術に惑わされてしまう。

 好例は国産の対艦ミサイルASM-3である。マッハ3の高性能と単純高性能のラムジェット推進採用の2点からいずれのミリタリー記事もベタ褒めした。

 しかし、現物は実用性を欠く兵器である。重さは従来型の2倍でありF-2には半分の2発しか積めない。逆に炸薬量は半分以下である。なによりも高速性が仇となり迎撃容易となってしまった。

 だから自衛隊が採用を遠ざけている。技術的には高度だが実用性はない。だから陸海自衛隊は採用を断り、空自も調達数を絞っているのである。

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