観光地はなぜ住みづらいのか? 「行きたい街」と「住みたい街」の違いについて考える
観光地からの脱却
では、「住みたい街」はどのように形成されるのだろうか。いくつかの事例を挙げてみよう。
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長野県の北東に位置する小布施町は、人口約1万人の小さな町でありながら、年間100万人以上の観光客が訪れる。この町の特徴は、
「小布施は観光用に作られた街ではありません」
と宣言していることだ。江戸時代からの町並みを保存し、現代的な要素とも調和させている。栗菓子や北斎館など、地域の特色ある文化を大切にしている。住民が主体となって町並みの保存や地域文化の継承に取り組んでおり、それが住民の誇りと愛着につながっている。
岡山県の北東端に位置する西粟倉村は、独自の施策で「行きたい街」を「住みたい街」へと転換した事例だ。この村は人口約1400人の小さな村で、自然を楽しむために「行きたい」と考えることはあっても、「住みたい」とは想像しづらい場所だ。しかし、この村では人口の約15%が移住者である。
この村では「百年の森林構想」という長期的な森林管理計画を住民主導で実施し、地域資源を活用したローカルベンチャーの起業を支援している。また、移住者と地元住民の交流を促進する「つながる経済」を推進し、人口減少に歯止めをかけて若者の移住も増加している。
これらの事例が示すのは、「住みたい街」とは必ずしも完璧な町である必要がないということだ。小布施町が「観光用に作られた街ではありません」と宣言し、西粟倉村が森林という地域資源を百年単位で考えるのは、まさにこの考えを体現している。
つまり、「行きたい街」から「住みたい街」への転換は、その町の不完全さを受け入れ、住民自身がその個性を育む主体となることで初めて可能になる。それは、アローの不可能性定理が示唆するように、単純な社会的選択の問題を超えた地域と住民の共進化のプロセスといえるだろう。