神戸牛と近江牛の真実! 「交通革命」が生んだ伝説のブランド牛物語をご存じか
明治時代の有名な銘柄牛といえば神戸牛と近江牛。この二つの銘柄牛の成立には、交通機関の発達が大きく関係していた。なぜ銘柄牛の成立に交通機関が関係するのであろうか。
鉄道が生んだ近江牛ブランド

近江牛が神戸牛から独立し、東京で名声を博すようになったのは、牛疫流行がきっかけだった(瀧川昌宏『近江牛物語』)。
1893(明治26)年に牛疫が発生すると、感染拡大を恐れた明治政府は、県をまたいでの生きた牛の移動を禁止することとなる。つまり、生きた牛を神戸に運び、横浜に輸送することができなくなったのだ。
一方で、屠畜した牛の枝肉ならば、感染の恐れがないので県をまたいで輸送することができた。そして牛疫の4年前には、
「東海道本線」
が新橋神戸間に開通していた。こうして、鉄道による枝肉輸送が始まったのである。
神戸港ではなく滋賀県の八幡駅(現・近江八幡駅)から発送された牛は評判となり、その発送地にちなんで江州牛あるいは近江牛とよばれ、東京でのブランドを確立していったのである。