山手線が昔「やまてせん」と呼ばれていたワケ 背後にあった数奇な歴史、沿線No.1のカレーライスを食べながら考える
山手線には「やまのてせん」「やまてせん」という2種類の呼び名がある。正式名称は「やまのてせん」だがいったいなぜか。おいしいカレーとともに考える。
1980年代の思い出
筆者(下関マグロ、フリーライター)は大阪の大学を卒業して、1980年代半ばに就職のため上京した。最初に住んだ街は荻窪だった。
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会社は乃木坂にあったため、最初は丸ノ内線で国会議事堂前駅まで行って、そこで千代田線に乗り換え通勤していた。
あるとき、上司が「国鉄を使うと便利」と教えてくれた。
総武線で新宿まで行ってみると、同じホームの向かい側に山手線の内回りがやって来た。そこで乗り換えて原宿まで行き、原宿から千代田線に乗り換えて会社に向かった。
総武線から山手線に同じホームで乗り換えられるのを知ったときは少し感動したが、朝の通勤時間帯はかなり混んでいて大変だった。
「やまのて」から「やまて」へ
「国鉄を使うと便利」と教えてくれた上司は鹿児島県出身で、山手線を「やまのてせん」と呼んでいた。また別の東京出身の先輩は
「やまてせん」
と呼んでいた。
どっちが正しいのか、当時ずっとモヤモヤしていたが、のちにライターとなり山手線に関する原稿を書いたとき、正式名称が「やまのてせん」と知った。ただ、今でも「やまてせん」と呼ぶ人は少なくない。
山手線は1885(明治18)年、東海道本線と東北本線をバイパスするための路線として開業した。開業当時は旅客用ではなく「貨物路線」だった。
その後、常磐線をつなぐために田端まで延長され、このときに山手線という名称になった。なぜなら、路線が通る場所が山の手エリアだったからだ。武蔵野台地の端部を境目に
・山の手:高台にある地域
・下町:低地にある地域
となっている定義は有名だろう。そして、1925年(大正14)年に環状運転が始まった。