誕生は日本初! 武蔵野市の「ムーバス」に乗って“油そば”発祥のお店へ行ってみました【連載】町バスに乗って(3)

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三鷹からコミュニティーバス「ムーバス」に乗って、油そば発祥の店に行ってみた。

日本初のコミュニティーバス

ムーバスは吉祥寺駅・三鷹駅・武蔵境駅を起点として、7路線・9ルートが走っている(画像:下関マグロ)
ムーバスは吉祥寺駅・三鷹駅・武蔵境駅を起点として、7路線・9ルートが走っている(画像:下関マグロ)

 筆者(下関マグロ、フリーライター)は先日、久しぶりに映画「男はつらいよ」シリーズを見た。渥美清演じる主人公の車寅次郎は露店で小物を売るのが仕事だ。なんてことはないものを巧みな話術で売っていく。

 そのときのセリフがなんともおもしろい。例えばこんな感じだ。

「物の始まりが1ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島……」

 これを聞いてふと思った。今では多くの自治体で走っている

「コミュニティーバスの始まり」

は何なのか。すぐにインターネットで調べてみたところ、武蔵野市のコミュニティーバス「ムーバス」がその始まりとわかった。

誕生のきっかけ

ムーバスの歩み(画像:武蔵野市)
ムーバスの歩み(画像:武蔵野市)

 ムーバスが誕生するきっかけとなったのは、1989(平成元)年、市長に届いた一通の手紙だった。

 手紙を書いたのは、吉祥寺駅から1kmのところに住んでいた高齢女性。女性はそれまで大通りにあるバス停まで歩き、吉祥寺駅へ向かっていたが、足が悪くなり、バス停へ行くのも困難になった。そのため、家の近所にある狭い道にもバスを走らせてほしいと手紙で要請したのだった。

 当時の市長は手紙を読み、同じ境遇の人はもっといるに違いない、と住宅街の狭い道も走るバス路線を作ろうと決意した。

 今では、多くの地方自治体がコミュニティーバスを走らせているが、当時はバス路線の新設認可が厳しく、実現までのハードルはとても高かった。しかし、そのハードルを越え、なんとか開業にこぎつけた。1995年のことだった。市長が女性からの手紙を受け取ってから6年たって、ムーバスが誕生したのだ。

 1995年といえば、ウィンドウズ95が発売された年である。正直なところ、そんなに前からムーバスが走っていたのかと驚いた。筆者は今回初めてムーバスの存在を知ったので、乗ったこともなかった。ちなみにムーバスは、JR中央線の

・吉祥寺駅
・三鷹駅
・武蔵境駅

を起点として、7路線・9ルートを走っている。

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