神戸牛と近江牛の真実! 「交通革命」が生んだ伝説のブランド牛物語をご存じか

キーワード :
, ,
明治時代の有名な銘柄牛といえば神戸牛と近江牛。この二つの銘柄牛の成立には、交通機関の発達が大きく関係していた。なぜ銘柄牛の成立に交通機関が関係するのであろうか。

蒸気船が生んだ神戸牛ブランド

神戸港(画像:写真AC)
神戸港(画像:写真AC)

 幕末になると蒸気船が発着できる港が整備されるようになる。横浜や神戸が開港したのだ。そして開港地周辺の外国人居留地向けに、牛肉を提供する必要も生じてきた。

 蒸気船が就航すれば、天候や潮流にかかわらず一定期間での輸送が可能となる。輸送期間が明確になれば、積み込むべき飼料の量も確定するので、生きた牛の輸送が可能となる。

 こうして蒸気船の発着地、開港した神戸で購入された牛が、同じく開港した横浜に輸送されるようになった。そのために横浜の外国人の間でコウベビーフの名声が高まり、神戸牛のブランドが確立したそうだ(神戸市編『神戸市史 本編各説』)。

 ところが神戸から送られた牛の多くは神戸生まれではなく、兵庫県北部の但馬地方の牛。その後牛肉食が盛んになると但馬地方の牛も不足するようになり、西日本全域から農耕牛が集められ、神戸牛として横浜に送られるようになった(神戸市編『神戸市史 本編各説』)。

 つまり神戸牛とは神戸産の牛のことではなく、

「神戸から蒸気船で送られた牛」

のことだったのである。なので、彦根/滋賀県産の牛も、横浜や東京では神戸牛の名で消費されたのだ。

全てのコメントを見る