神戸牛と近江牛の真実! 「交通革命」が生んだ伝説のブランド牛物語をご存じか
明治時代の有名な銘柄牛といえば神戸牛と近江牛。この二つの銘柄牛の成立には、交通機関の発達が大きく関係していた。なぜ銘柄牛の成立に交通機関が関係するのであろうか。
徒歩で輸送されていた滋賀県産の牛

さて、牛肉料理や西洋料理を提供するとなると、みそ漬けではなく生の牛肉が必要となる。当時は冷凍冷蔵輸送技術が存在しないので、生きた牛を江戸/東京に持ち込んで屠畜する必要が生じてくる。
当時の牛肉は、現在のような食肉用に飼育された牛ではなく、農耕用の牛を食用に転用していた。ところが東日本では牛ではなく馬を農耕に使うことが多かったので、生きた牛は西日本の農村から輸送しなければならなかった。
最初期の彦根/滋賀県産の牛は、東海道を徒歩で輸送したそうだ(瀧川昌宏『近江牛物語』)。なぜ船を使わなかったかというと、当時の木造帆船は輸送期間の計算ができなかったため。
天候まかせ、潮まかせの木造帆船は、風がないだら速度がでず、嵐になれば港に避難しなければならない。到着に何日かかるのかがわからないのだ。
米や酒ならばともかく、牛は生き物である。毎日大量の飼料を食べなければ飢えてしまう。ところが港で飼料を調達できるとは限らなかったのである。
その点、東海道を徒歩で運ぶならば、ある程度日数の計算もできるし、なによりも馬が行き来できるように馬用の飼料が各宿場に準備されている。そのために帆船を使わず徒歩で輸送したのだ。
やがて東海道を東に運ばれる牛の数も増大し、1877(明治10)年頃には牛専用の「牛宿」が各宿場に整備されるようになる。