野球の「リリーフカー」は本当に必要? プロ野球セパ12球団を徹底検証、知られざる歴史と意外な現状をご存じか

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リリーフカーは単なる移動手段ではなく、試合の演出や観客体験において重要な役割を果たしている。その復活や新しいデザインの導入は、時代の流れや球団の方針によって変わることがあり、今後も注目されるポイントだ。

進化するリリーフカーの歴史

阪神甲子園球場リリーフカー。2022年3月プレスリリースより(画像:阪神電気鉄道)
阪神甲子園球場リリーフカー。2022年3月プレスリリースより(画像:阪神電気鉄道)

 リリーフカーが初めて日本で導入されたのは1964(昭和36)年だ。読売ジャイアンツのV9が始まる前年で、セントラル・リーグの覇者は阪神タイガースだった。

 この年の阪神は、大エース小山正明とのトレードで大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の主砲・山内一弘を獲得。投手陣は村山実とジーン・バッキーが主力で、ショートは吉田義男が守っていた。そんな時代の阪神の本拠地である阪神甲子園球場でリリーフカーが使用されたのである。

 当時、甲子園球場のブルペンは外野にあるラッキーゾーンに設置されており、マウンドまでの距離は約70mと遠かった。そのため、移動時間を短縮し、試合の進行をスムーズにするためにリリーフカーの登場となった。しかし、当初は4輪ではなく2輪で、阪神の関連会社が所有するスクーターが使用された。初めてリリーフカーに乗った投手はバッキーだったと
される。

 1970年代になるとリリーフカーは多くの球場で導入され、2輪から4輪に変化した。各球場が独自のリリーフカーを生み出していき、1980年代にかけては、チームロゴやマスコットキャラクターが描かれることで視覚的な楽しさが増していった。

・甲子園球場:ビオフェルミン
・広島市民球場:そごう

のようにスポンサーロゴが入る場合もあった。また、ドライバーに若い女性が起用される流れもあった。リリーフカー自体が球場での演出の一部として扱われるようになり、球団のマスコットキャラクターを乗せるショータイムが設けられるケースもあった。

 1980年代から1990年代にかけて、リリーフカーの主流は簡素なカート型の車両だったが、次第に後部座席のドアが省略された

「オープンカー型」

の自動車へと移行していった。また、企業の環境問題への意識が高まり、電気自動車(EV)の採用が増えていった。その一方で、1980年代以降に続々と誕生した新球場ではブルペンがベンチの近くに設置されることが多くなったため、リリーフカーを使用するスタジアムの数は減少していった。

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