四国と九州の「この場所」に、なぜ橋やトンネルを作らないのか?

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豊予海峡に橋やトンネルを建設する計画が再浮上。半導体産業の成長が九州の重要性を高め、交通網整備で関西と直結するチャンス。巨額投資が必要だが、今こそ100年に一度の推進の好機。

2県の熱意、再燃の兆し

飛行機から見た佐田岬半島(画像:写真AC)
飛行機から見た佐田岬半島(画像:写真AC)

 豊予海峡ルートの構想は1965(昭和40)年の「第二東西道路構想」にまでさかのぼる。1969年には「新全国総合開発計画」で九州・四国連絡新幹線や自動車道の建設が明記され、そのなかに豊予海峡ルートも含まれていた。これは、日本の国土を「太平洋ベルト地帯」と呼ばれる太平洋側の1本の軸で結ぶのではなく、複数の軸で結ぶ

「多軸型国土構造」

の実現を目指すものであった。当時はあくまで構想にすぎなかったが、1990年代に入り現実味を帯びてきた。1993(平成5)年には大分県と愛媛県の行政や経済界による豊予海峡ルート推進協議会が設立された。1998年に策定された「21世紀の国土のグランドデザイン」では、第四次全国総合開発計画(四全総)で示された「多極分散型国土」の考え方をさらに発展させ、複数の国土軸による多軸型国土構造の形成を目指すために、豊予海峡ルートの実現が訴えられた。

 この時期、大分県と愛媛県は豊予海峡ルートに熱心だったが、計画は進展せずに停滞してしまった。2003年には、当時の広瀬勝貞大分県知事が厳しい財政状況から近い将来の実現は困難と表明し、事実上の計画凍結が行われた(このとき、愛媛県側は事業継続を求めて熱気を持っていた)。その後、豊予海峡ルートについては調査研究は行われるものの、進展がない状況が続いていた。しかし、佐藤知事が就任直後に

「機運を醸成し、国への働きかけを強めていきたい」

と述べ、積極的な推進姿勢を示したことで、豊予海峡ルートは20年以上ぶりに動き出した。

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