江戸は「坂」の多い町! 物資を運ぶ苦労は並大抵ではなかった【連載】江戸モビリティーズのまなざし(21)

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江戸の坂は、山の手と下町をつなぐ物流の要だった。23区内に800~900の名のある坂があり、特に山の手に集中。急勾配の坂は物資運搬に苦労し、赤土の悪路も難題。江戸時代の坂は現代の交通問題と似ており、当時の工夫と努力が伺える。

江戸の食文化を支えた商店

『東都三十六景 霞ケ関雪中』は、雪の降る霞が関坂の様子(画像:国立国会図書館)
『東都三十六景 霞ケ関雪中』は、雪の降る霞が関坂の様子(画像:国立国会図書館)

 赤坂・麹町・永田町エリアには、貝坂・中坂という坂もあった。現在の千代田区平川町1丁目である。

『麹町永田町外櫻田絵図』には、その周辺に「ハマグリ店・肴(さかな)店」「ケダモノ店」の文字がある。「店」は、たな(または、だな)と読む。

 この区画(絵図のグレーの部分)は武家地に隣接した町人地で、商店があった。ハマグリは江戸のご当地グルメであり、「肴」は魚。つまり生鮮魚介類の販売店だ。

 一方の「ケダモノ店」は、猪(いのしし)や鹿など現代でいえばジビエを扱っていた。鳶(とび)・鵜・小鳥などの鶏肉も売っていた。

 江戸時代は、基本的に肉食はない。ただし、薬として肉を食べることはあり、武士には好む人もいたという。そうした者たちが買いに来る場所だった。海鮮や肉も、荷車などを使って運ばれた。

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