武蔵小金井駅の「武蔵」とは何か? なぜ「武蔵」が付いたのか、全部で21駅「武蔵駅名」の謎に迫る
市民の反発

この意外な決定に対しては、地元住民や国鉄からも難色が示された。『埼玉新聞』1985年5月20日付の記事「モタつく通勤新線第6駅名「新浦和」だ、いや「武蔵浦和」 住民(対立)市側 国鉄への要望書タナ上げ」では、新駅周辺の住民が新浦和の採用を求め、国鉄からも
「武蔵を頭に使うと、ローカルのイメージが強調されて、県都の駅にふさわしいとはいえない」
との意見があったことが報じられている。
それでも浦和市は決定を覆すことなく国鉄に要望書を提出。そのまま浦和市の案が採用されることとなった。『埼玉新聞』1985年7月12日付の記事では、次のように公募結果を尊重せず市の意向を優先させたことについて(なお、同様に与野市と戸田市も公募の結果を尊重しなかった)、苦言を呈している。
「ところで、要望に先立って三市とともに、地元市民とのコンセンサスを得るための駅名アンケートを実施した。しかし、その集票結果を重んじてストレートに、国鉄に要望した市は、残念ながら皆無だった。(中略)浦和市に至っては、第6駅のアンケートトップの「新浦和」を第7駅の要望駅名にすり替えたあと、市民の反発をかわすためか、最終的に要望駅名から抹殺してしまった」
なぜ当時の浦和市が武蔵浦和の駅名にこだわったのかは、今となってはわからない。ただ、武蔵の名前が付く駅のなかでは、決定過程を記した資料がもっとも豊富に残されているといえるだろう。
一方、武蔵浦和駅のように紆余(うよ)曲折を経ることなく、わかりやすく駅名が決まったのが武蔵砂川駅である。1983(昭和58)年12月発行の『広報たちかわ』584号によると、武蔵砂川駅の名称は、駅の設置を請願した立川市と武蔵村山市の地名を合成したものだという。
具体的には、「武蔵村山」と立川市の旧地名「砂川」を組み合わせて、武蔵砂川駅と名付けられたのである。砂川は、1963年まで北多摩郡砂川町として存在した地域の名前で、武蔵砂川駅がある立川市上砂町5丁目は、かつての砂川町の一部だった。
現在は立川市に属しているにもかかわらず、駅名に武蔵村山の名が冠されているのは、武蔵砂川駅が武蔵村山市の最寄り駅にもなるためだ。両市は最寄り駅の設置を鉄道会社に強く要望しており、それが実現した経緯から、両市の地名を合わせた駅名が選ばれたようだ。