武蔵小金井駅の「武蔵」とは何か? なぜ「武蔵」が付いたのか、全部で21駅「武蔵駅名」の謎に迫る

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関東地方には「武蔵」の名を冠した駅が合計21もある。東京が最も多く11駅、次いで埼玉と神奈川が5駅ずつだ。なぜこんなに多いのか。

地元重視の方針

武蔵浦和駅の駅名標(画像:写真AC)
武蔵浦和駅の駅名標(画像:写真AC)

 まず、全21駅のうち最も決定経緯が明確なのは埼玉県にある武蔵浦和駅である。武蔵浦和駅は、1985(昭和60)年に埼京線が開通する際に設置された比較的新しい駅だ。

 この駅名に関しては

「武蔵野線と接続するので武蔵浦和駅になった」
「東西南北の浦和が既にあったので武蔵を付けた」

とまことしやかに説明している本がいくつかある。そのため、インターネット上ではそれらの説明が記されていることが多い。

 ところが、これらの説明はまったくの間違いだった。調査にあたって、さいたま市図書館に問い合わせたところ、公募が行われたことや、武蔵浦和駅に決まった経緯に関する豊富な資料を示した。

 武蔵浦和駅の駅名決定に関しては、主に当時の新聞記事から詳細な経緯を知ることができる。『埼玉新聞』1984年10月24日付の記事「駅名線名 通勤新線 関心にわかに高まる 県も沿線3市まとめ要望へ」では、初めて駅名が公募されることを報じ、以下のように記している。

「駅名決定に関しては、線名と違い「地元重視」というのが国鉄の方針であり、こちらはむしろ地元住民間の調整が、最大の難関となりそうだ」

 理由は定かではないが、このときの新駅に限って国鉄(当時)は地元の意見を反映させる方針を採っていたようだ。これを受けて、浦和市(現・さいたま市)では仮称の第6駅と第7駅の名称を公募することになった。第6駅が現在の武蔵浦和駅、第7駅は現在の中浦和駅である。

 公募の告知は、1984年12月の浦和市広報『市民と市政』に記されている。当時の中川健吉市長は市議会で駅名公募について次のように説明している。

「通勤新線の駅名につきましてはもちろん国鉄が決定をするわけでございますが、国鉄は地元からの要望があれば尊重するということでございますので、市といたしましても要望したいと考えて、昨年の12月に市の広報紙を通じて市民から駅名案を募りました」(浦和市議会会議録1985年3月14日)

 しかし、公募に対する市民の反応は芳しくなかった。『埼玉新聞』1984年12月28日付の記事「何にしようか新駅の名前 通勤新線 6駅「新浦和」7駅「別所…」など 公募に意見さまざま」によれば、この時点で駅名案の応募者は「市民40人あまり」とある。当時の浦和市の人口が約35万人であることを考えると、ほとんどの市民は関心を示さなかったことがうかがえる。

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