昭和45年、青ヶ島を揺るがした「ソ連船漂着事件」の教訓 僻地を悩ます交通インフラの遅れとは
1970(昭和45)年11月26日の18時過ぎ、東京都最小の自治体・伊豆諸島の青ヶ島にソ連船の乗組員が漂着した。この珍事を通して、交通インフラや通信環境の整備についてあらためて考えたい。
交通・通信の技術発展に願うこと
この珍事件も、電話というインフラが有効に機能した事例の一つといえるだろう。そんな離島ゆえに、その後のインフラの整備も本土に比べると遅れた。青ヶ島に、光ファイバーが開通し、本土並みにインターネットができるようになったのは2020年2月と、ついこの間の出来事である。
本来、過疎地や離島にこそ生かされるべき交通や通信の先端技術が後回しになってしまうのも、悲しい現実といえる。
今後広がりを見せる次世代の交通インフラ整備においては、過疎地や離島でこそその本領を発揮してほしい。