昭和45年、青ヶ島を揺るがした「ソ連船漂着事件」の教訓 僻地を悩ます交通インフラの遅れとは

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1970(昭和45)年11月26日の18時過ぎ、東京都最小の自治体・伊豆諸島の青ヶ島にソ連船の乗組員が漂着した。この珍事を通して、交通インフラや通信環境の整備についてあらためて考えたい。

昭和45年11月の夜に起きた珍事件

青ヶ島の風景(画像:写真AC)。
青ヶ島の風景(画像:写真AC)。

 1970(昭和45)年11月には伊豆諸島・青ヶ島のソ連船乗組員漂着事件という珍事件も起こっている。

 伊豆諸島最南端の青ヶ島は、東京都最小の自治体。欠航も少なくない八丈島からの航路か、少人数しか乗れないヘリコプターでしか到達することのできない秘境の島として21世紀の今でもロマンを感じさせている。

 そんな島に、それまでに体験したことのない騒動が起こったのは1970年11月26日の18時過ぎのことであった。島の北に位置する神子ノ浦の沖合に、ソ連の科学調査船・ベルベネックス号がこつ然と姿を現したのである。

 船の大きさは150トン。中型のフェリー程度の大きさである。それでも、島に近づく船としては見ることのない大きさだった。

 当時は冷戦の真っただ中であり、この海域には米ソの船が姿を現すことは多々あった。しかし、その多くが付近を通過していくのに対して、この調査船の行動は違った。日暮近くになりボートを下ろすと、アクアラングを付けた3人ほどが潜水を始めたのである。

 この日は風速20mほどの強風が吹き荒れて波も高い日だった。たちまちボートは風に流されて、一人はボートに乗ったまま、もう一人は這々(ほうほう)の体(てい)で泳いで神子ノ浦(江戸時代には船着き場として使用されていた玉砂利の海岸)にたどり着いた。

 上陸となれば、事件である。さっそく、事態を聞きつけた島に駐在する八丈署の青ヶ島派出所の警察官が駆けつけた。まずは負傷者を救助しつつ、一応は不法入国の疑いで身柄を拘束することになった。

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