京都市は「観光公害」より、昔からの「渋滞問題」を論ずる方が先決だ
京都では観光客の急増が大きな問題になっている。混雑による交通渋滞も深刻だ。行政の対応が追いついていないという意見も根強い。実際はどうなのか。
駐車場とマイカー対策

京都では観光客の急増が大きな問題になっている。混雑による交通渋滞(以下、渋滞)も深刻だ。行政の対応が追いついていないという意見も根強い。実際はどうなのか。
京都市はかなり早い段階から渋滞対策に取り組んできた。そのひとつが、1960(昭和35)年に施行された「駐車場条例」だ。これは大規模施設に駐車場の設置を義務付けるものだった。もうひとつは1970年代に登場した、観光地でのマイカー乗り入れ拒否政策である。
前者は自動車を利用する市民を対象とした施策であり、後者は自動車で訪れる観光客を対象とした施策であった。特に後者は、観光客の自動車利用が深刻な問題となっており、早急に解決する必要があった。
当時のデータによると、1972年当時、約3230万人の観光客の37%に当たる1200万人がマイカーを利用していた。そのため、観光客の多い寺社の周辺住民は排ガスに悩まされることが多く、県や市町村にマイカーや観光バスの立ち入りを排除するよう求める陳情や請願が相次いだ。
当時、自動車規制の案としては、モデル地区を設けて乗り入れを制限する案や、市街地の入り口に大規模な駐車場を設けて全車両の乗り入れを制限する案などがあった。
そんななか、1973年8月、京都市は「マイカー観光拒否宣言」を決定している。非常にインパクトのあるネーミングで、たちまち全国的な反響を呼んだが、
「京都へは自動車で行けない」
「観光都市が観光客を拒否するとは何事か」
と悪評が立ったため、1回限りのものとなった。