京都市の「観光公害」 45年前廃止の「市電」が現役だったら避けられた?
京都の観光公害は依然として解決されていない。この状況を受けて、インターネット上には「京都市電を廃止したのは間違いだった」などの意見が出ている。
十分に検討されなかった存廃

市長と市議会が政争に明け暮れるなか、市電の存廃は十分に検討されなかった。廃止を前に「京都新聞」が連載した「京都市電物語」には、その経緯が詳述されている。
「交通政策をたたかわすよりも、市長の政治姿勢の追及などにいそがしく、肝心の交通政策がお留守の感もある。どうして、議員さんは交通問題が苦手なのだろうか」(『京都市電物語』京都新聞社、2008年)
当時、京都市の廃止方針には市民から疑問の声が上がり、交通局の公社化などの再建策や、市街地の外周部を運行する外周線の存続など、縮小路線の検討などが提案された。
1976(昭和51)年1月、交通事業審議会は全廃、一部存続、完全存続の意見を中間報告として示すにとどまり、決定には至らなかった。ところが3月、舩橋市長は突然、市電の全廃を発表した。この決定は審議会のメンバーに諮られることなく行われた。
「全廃声明を翌朝の新聞で、初めて知ったある委員は絶句。その後の委員会では一方的な市のやり方に批判が集中する。「まだ審議途中なのに。事前連絡がないのは、審議会無視だ」」(同)
このように、十分な議論もないまま市電が全廃された経緯もあってか、京都市では早くからLRTによる路面電車の復活が検討されていた。
1997年10月12日付『朝日新聞』朝刊によると、同年12月に京都で開催される気候変動枠組み条約第3回締結国会議を背景に、19年前に廃止された市電を復活させようという動きが活発化していた。