「岐阜市」周辺が衰退した本当の理由 路面電車の廃止だけじゃなかった!
JR岐阜駅「高架化」という転換点

筆者(昼間たかし、ルポライター)がさまざまな資料をもとに特定した岐阜市の衰退の転換点は、1997(平成9)年の
「JR岐阜駅の高架化」
である。
2年前の1995年、岐阜県は「アジアセントラル構想」を発表し、岐阜市の商圏を最大半径30kmと位置づけ、愛知県の一宮市、小牧市、名古屋市の一部を含め、潜在的な利用者は約340万人と評価した。岐阜市中心街の再開発は、この構想をもとに県と市が共同で進めることとなった。
しかし、この計画は行き過ぎだった。当時、鉄道のスピードは向上しており、JR新快速はわずか20分で名駅に到着した。名駅周辺では大規模な再開発が進んでおり、岐阜市もそれに対抗する計画を進めていた。特にJR東海は、名駅周辺の再開発から60分以内の商圏を予測していた。
岐阜市は再開発計画で名古屋市との競合を意識していたが、市中心部と郊外を結ぶ交通網の重要性を見落としていた。その結果、岐阜市の衰退は加速した。2005年に閉店した新岐阜百貨店は、閉店の主な原因として「ブランドの名古屋止まり」という現象を挙げている。消費者が名駅に集まるなか、岐阜市はその流れを食い止めることができなかった。
ただ、柳ヶ瀬商店街周辺では新築マンションの建設が続いており、不動産の単価は名古屋の名駅や栄よりも手頃だ。2019年、コロナ以前の名駅前・栄の地価は坪単価300万円で、かつ一括開発は難しかった。
一方、岐阜駅周辺は坪単価200万円前後で、再開発の余地が大きかった。さらに、名駅へのアクセスがよい岐阜駅前は、郊外に住む高齢者にとって魅力的なエリアであり続けている。現在進められている岐阜駅周辺の再開発は、新たな住民を呼び込み、市のにぎわいを取り戻すことを目的としている。しかし、これらの開発が単にベッドタウン化を助長するだけではないかという懸念もある。
しかし、これは岐阜にとってマイナスなのだろうか。名駅に近いことを考えると、高級ブランドを扱う新しい百貨店や、日常的な買い物以外を扱う店を岐阜に置くのは難しいだろう。だとすれば、今後の岐阜市の方向性は、ベッドタウンとしての質を高めていくことだろう。