「岐阜市」周辺が衰退した本当の理由 路面電車の廃止だけじゃなかった!

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岐阜県唯一の百貨店である岐阜高島屋が2024年7月、閉店する。岐阜市はいわずもがな、岐阜県の県庁所在地である。そんな都市ですら百貨店が撤退するまで衰退しているのだ。

市の路面電車政策

在りし日の新岐阜駅前(画像:写真AC)
在りし日の新岐阜駅前(画像:写真AC)

 繊維問屋街が隆盛を極めていた当時、岐阜市内線は都市の発展とともに利用の機会を失いつつあった。1967(昭和42)年には、岐阜市市議会が路面電車の廃線を決議した。

 このときの特筆すべき点として、市が県警と協議し、軌道内を自動車通行化として、路面電車の優先権を取り消す方針を打ち出したことが挙げられる。ここの政策により、岐阜市内線は定時性を失い、利用者にとっての魅力が低下した。

 1988年に開催された「ぎふ中部未来博」を機に、一部路線が廃止された。岐阜市内線に対する行政の姿勢は、乗り降りの安全対策が不十分だったことに象徴される。岐阜駅前を除いて、十分に整備された停留所は少なかった。多くの停留所は白線で区切られているだけで、乗り降りが危険だった。

 負の要因が積み重なることで路面電車の赤字もかさんでいった。こうして2003(平成15)年1月、運営する名古屋鉄道は岐阜市内線および、

・揖斐(いび)線
・美濃町線
・田神線

の4路線から撤退する意向を明らかにした。同社によれば、2001年度末の単年度赤字は約17億円、1kmあたりの輸送人員は10年で約4500人減、営業係数は283であったとしている。当然、利用者は「なくなったら困る」と困惑し、岐阜市はサービスの存続を検討することにした。なお、名鉄は廃止の理由を次のように述べている。

・当時の24路線のうち黒字は数路線にすぎず、多くは内部補助によって維持している
・岐阜市郊外、周辺地域と中心部を有機的に結ぶことに路線の意味があるが、現実的には自動車がその役割のほとんどを担っている
・軌道敷内の自動車通行が認められており、電停に安全島がないため乗降に危険がともない、利用者から支持を得られる状況にない
・1960年の撤廃論以降、合理化を促進。ワンマン化や不採算路線の廃止をしてきた

 岐阜市は、公共交通の責任はあるが民間企業としての限界があることを説明する名鉄の意欲を十分に理解していなかった。同市では、市の幹部職員が

「名鉄は全社黒字なので、赤字路線を維持することについて企業としての責任がある」

とまで発言した。

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