中央道にはなぜ「支線」があるのか? 大月JCT~富士吉田ICで長さ23km、その歴史をご存じか

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中央道には、高井戸ICから小牧JCTまでの344kmの本線とは別に、山梨県の大月JCTから富士吉田ICまでの23kmの支線がある。この支線は中央道富士吉田線と呼ばれている。

膨大な建設費で計画・工事が中断

南アルプス(画像:写真AC)
南アルプス(画像:写真AC)

 富士吉田までは施行令が出されていたが、富士吉田以西は日本有数の大山脈である南アルプス(赤石山脈)を貫通しなければならず、着工は難航した。

 これは、当時南アルプスを貫通する建設技術がなかったこともあるが、それ以上に、戦後の厳しい経済情勢のなかで、トンネル建設にかかる莫大(ばくだい)な建設費を日本の財政力で賄うことが極めて困難だったことが大きい。

 一方、ライバルとなる東名は海岸沿いのルートで比較的建設が容易であったため、各区間を順次実施する命令が出された。結局、開通スピードで中央道は後発の東名に抜かれた。

 さらに、当時の日本の財政力では中央道と東名を同時に建設するのは難しいという意見もあり、中央道の計画・建設は中断され、全線が開通しない可能性も浮上した。

長野県出身の政治家がルート変更

中央道(画像:写真AC)
中央道(画像:写真AC)

 中央道未開通の危機を救ったのは、当時長野県選出の参議院議員だった青木一男だった。青木は中央道推進派のひとりで、戦前は大蔵大臣を務めていた。

 青木は、現在の中央道ルートのままでは全線が開通しないことを危惧し、イタリアとフランスを結ぶのモンブラントンネルを視察し、建設省の助言を得て、1963(昭和38)年5月に中央道のルート変更を提案した。

 南アルプスを通らず、山梨県甲府市、長野県諏訪市、長野県南部の伊那谷を通るという、それまでよりもずっと北回りのルートだった。このルート変更によって中央道の総距離は延びたが、当時の建設費は約1000億円安くなった。

 従来の南アルプスルートで経由するはずだった山梨県身延町の議員など、ルート変更に反対する声もあったが、北回りルートを推進する動きが高まり、ついに1964年、国土開発縦貫自動車道建設法が一部改正され、中央道は当初のルートから大幅に変更された。

 しかし、ルート変更が決まった段階で、中央道の東京~富士吉田区間はすでに施行令が出され、工事が始まっていた。そのため、中央道の大月~富士吉田区間は中央道の支線として建設されることになった。

 ちなみに、それから56年後の2021年8月、ルート変更で高速道路が開通しないことになった身延町に中部横断自動車道が開通し、身延町に身延山ICが設置され、ルートは違えど高速道路開通の夢が実現した。

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