物流ドライバーの熟練テクを軽んじる荷主たち 「下請けの分際で」高齢社長の呆れた放言も、ホンネは「ドライバー様様」の痛々しい現実
私たちの日常を支えている物流業界。そんな同業界で聞かれる、荷主からの「代わりはいくらでもいる」の言葉。このままでいいのか。
企業オーナーに迎合する人間たち

年齢を含め、この国の内閣や有力国会議員、あるいは経団連幹部と同じような問題だが、もちろん高齢だからこその熟練技術を駆使する大ベテランもいるので一概には言えない。それでも「代わりなんていくらもいる」という誤った感覚をブラッシュアップできない議員や企業オーナーには「ご退場」願うしかないのだろう。
しかし権力者やオーナーである彼らを退場させられないという現実もある。
「彼らに迎合する人々」
もいる。その現実があるからこそ、先の調査「価格交渉促進月間フォローアップ調査」は散々な結果となった。荷主も運送業者も、現場は苦しい。
本当は実際の現場に、代わりなんていくらもいない。いまのところ「代わりなんていくらもいる」になっているとされる中小零細の宅配業すら、定年後に働き始めた団塊世代やその前後の世代(おおよそ65歳から80歳)のおかげでなんとかなっているだけで、彼らの年齢を考えれば「代わりなんていくらもいない」になるのは時間の問題だ。
そのツケはそっくりそのまま、この先の
「日本社会と現役世代の負担」
となる。だからこそ現役世代が「代わりなんていくらもいない」「あなたがたでなければ」といった本当の現場の実態が反映されるような世の中を、制度面も含め(これは政治の問題でもある)社会全体で作っていくべきだ。ごく一部の残念な「逃げ切り」に付き合って「代わりはいくらでもいる」と迎合したのなら、日本の物流も含めた現場は本当に終わりかねない。
現場が終わるということは、私たちの生活も終わりかねない、ということだ。