率直に問う 「ドイツ製戦車」はなぜ世界中から支持されるのか? 「レオパルト2」ウクライナ供与で考える

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レオ1、レオ2の独戦車がそろってウクライナの戦場で活躍することになるようだが、なぜこれほど独戦車はこれほど人気があるのか。

市場分析で要望に応える柔軟さ

ティーガーII(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)
ティーガーII(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)

「4」 は、第2次大戦後に西ドイツが開発した初のMBT・レオ1でのマーケット戦略と言ってもいい。同国は冷戦が激化する1955年に再軍備とNATO加盟を果たし兵器開発も許されると、「俺に任せろ」とばかりに戦車開発に挑む。

 当時新生西ドイツ軍はM47、M48などアメリカ製MBTを有したが、鈍重で戦車砲も弱く核戦争に備えた防護装置もない代物で不満だった。また対戦車ミサイル(ATM)の発達を考えて、装甲の厚さを増やすよりも、足回りと戦車砲の威力を重視して開発に臨む。こうして完成したのがレオ1で、俊足でATMの攻撃を振り切るのが主眼で(当時のATMは有線誘導で飛翔速度も遅かった)、1960年代半ばから量産を始めた。

 当初フランスと共同で戦車開発を続けたがやがて破談し、レオ1にやや遅れてフランスも似た性能の「AMX-30」を誕生させた。

 1960年代にNATOではこのほか「M60」(米)や「チーフテン」(英)など第二世代MBTが次々誕生しているが、M60は装甲を厚くしたため鈍重で、チーフテンも装甲が厚い上に戦車砲も巨大で、当時のMBTでは最重量クラスの55tに達し足も遅かった。

 またAMX30の性能はレオ1に近く「好敵手」に思えたが、レオ1が戦車砲の規格をNATO標準でM60も採用する「L7シリーズ」を選んで、砲弾や部品の互換性を重視したのに対し、AMX-30はフランスが1960年代半ばにNATO軍事機構から脱退した影響を受け、主砲は同じ105mm砲ながらもNATO標準と互換性のない独自仕様にこだわり、海外輸出が振るわない一因ともなった。

 加えて米英仏の場合、兵器輸出を「安全保障戦略の有力な手段」と捉え、相手国への軍事的影響力を慎重に考える。特にアメリカの兵器開発は「世界を股(また)に掛ける米軍が使う世界最高峰のアイテム」が最重要課題で、海外輸出は「二の次」の傾向が強い。しかも外国への売却はあくまでも「有償の軍事援助(FMS)」とのスタンスで、顧客に販売するというよりは売ってやるという

「上から目線」

である場合が多い。

 これに対し第2次大戦の敗戦国・西ドイツ(現ドイツ)の場合は、兵器は

「工業製品」

と割り切り、紛争当事国や共産圏、国連による禁輸国、反西側国家以外なら、あまり政治的思惑を挟まずに輸出する傾向が強い。

 そこへ来て「1」~「3」で指摘したブランド力や伝説、信頼性、きめ細かなアフターサービス、特に採用国の要望に柔軟に対応できるように、初めから車体設計に余裕を持たせるなど、受注獲得の工夫に余念がない。

 その結果、レオ1はイタリアやオランダ、ベルギー、ギリシャ、トルコといったNATO加盟国や、ブラジル、豪州など15か国以上が導入を決め、総生産台数は6500台を超える。

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