率直に問う 「ドイツ製戦車」はなぜ世界中から支持されるのか? 「レオパルト2」ウクライナ供与で考える

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レオ1、レオ2の独戦車がそろってウクライナの戦場で活躍することになるようだが、なぜこれほど独戦車はこれほど人気があるのか。

「砂漠の狐」の伝説的な戦いも一役買う

ドイツのティーガーI(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)
ドイツのティーガーI(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)

 次の「2」に掲げたドイツ陸軍のロンメル元帥(エルヴィン・ロンメル。1891~44年)の存在も大きく、「イメージ戦略」「ブランド力向上」に一役買っている。

 先の大戦では天才的な戦術で連合軍を翻弄(ほんろう)した戦車戦の名将で、敵の米英の将兵たちすら一目置くほどだ。特に北アフリカの戦いではその神出鬼没さから「砂漠の狐」とあだ名された。

 どこの国でも戦車部隊は陸軍の花形・出世街道で、士官の大半はロンメルに憧れ、幼い時から映画やテレビ、雑誌を通じ彼の武勇伝に心を躍らせていただろう。つまり「1」と同じく、MBTを選ぶ際にロンメルが駆使したドイツ戦車の直系、レオ1、レオ2を推しても不思議ではない。

「3」に関しては独ソ戦(1941~45年)の影響が強い。第2次大戦の欧州戦線で展開された史上空前の大戦車戦で、ソ連に攻め込んだドイツ侵攻軍は、突如現れたT-34に大慌てとなる。足が速く、装甲も厚く、戦車砲も強力で「走・攻・守」の三拍子を高いレベルでしかもバランスよく備えた新手のソ連戦車に、独機甲部隊の大半の戦車は歯が立たなかった。

 結局、ドイツ側は「パンター」「ティーガー」といった当時最強クラスのモンスター級の戦車を繰り出して対抗したが、生産数は両車とも数千台規模程度で、6万台超というT-34の桁外れの物量に多勢に無勢だった。

 ドイツは無謀な戦略の果てに無条件降伏をたどるが、個別の戦車戦における独戦車の奮闘ぶりは伝説にもなっている。加えて、その後の冷戦で西側陣営が宿敵・ソ連と対峙(たいじ)すると、事実上西ドイツが彼らと戦車戦を交えた唯一の国(朝鮮戦争で米英の戦車が北朝鮮軍のT-34と若干の戦車戦を演じたが)という経験はその後の兵器開発でも実に説得力を持つ。

 特に軍事の世界で「実戦経験」はモノを言い、その後誕生したレオ1、レオ2の「箔(はく)付け」にもなっている。

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