鉄道会社が加速させた80~90年代「スキーブーム」 ゲレンデに“恋の嵐”が吹き荒れたッ! 魔法をかけたのは誰? 「それはJR SKISKIです」

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スキーはバブル期、若者を中心にした定番スポーツレジャーだった。このような一大ブームが形成されたことには、大手交通機関の戦略が大きく影響している。

国鉄が運行したスキー列車

スキー場(画像:写真AC)
スキー場(画像:写真AC)

 その一方、鉄道では自家用車やスキーバスのように渋滞に巻き込まれる心配はない。旧国鉄は1986(昭和61)年から本州のスキー場にむかうスキー列車「シュプール号」を運行している。

 スキー客のための臨時列車はそれ以前からも存在したが、鉄道の最寄り駅からスキー場までも一定の距離があるため、今ひとつ利便性がよくなかった。

 そのため、シュプール号ではスキー客の利便性を高めることに注力し、最寄り駅からスキー場までは専用バスを運行させるなどの工夫をした。

 さらに東日本旅客鉄道(JR東日本)では、1990(平成2)年に駅と直結したスキー場「GALA(ガーラ)湯沢スキー場」をオープンさせている。東京駅から75分程度で到着し、駅から直接スキー場に行けることが売りとなって人気を呼んだ。

大きなブームになったワケ

2022~2023年シーズンの「JR SKISKI」(画像:JR東日本、レプロエンタテインメント)
2022~2023年シーズンの「JR SKISKI」(画像:JR東日本、レプロエンタテインメント)

 スキーが大きなブームになった背景としては、スポーツレジャーとしてのスキーの人気だけでなく、

「ゲレンデ = ロマンチック」

というイメージの刷り込みが多くの若者になされたことがある。確かに白一色となるスキーリゾートの景観はロマンチックであり、ホテルやペンションもアルペン風であったりして女性好みでかわいい。都市部から一定距離離れていることも非日常感を演出する要素と言える。

 しかし、それだけではなく、イメージ形成にはJR東日本やアルペンスポーツ用品販売店などのテレビCMの効果も大きかった。

 JR東日本は1991(平成3)年から「JR SKISKI(ジェイアールスキースキー)」としてプロモーション活動を展開する。当初はガーラ湯沢スキー場のプロモーションであったが、その後はスキーツアー全体のプロモーションとなっていった。

 人気アーティストを次々に起用し、ZOOの「Choo Choo TRAIN」、globeの「DEPARTURES」、GRAYの「Winter,again」など、いずれの楽曲も大ヒットを記録した。映像も若者が繰り広げるストーリー性のある内容で、ゲレンデには何かときめきがあるようなイメージ付けがされていった。

 当時は今と比べてインターネットもなく、主にテレビや雑誌からの情報に限られていた。若者のライフスタイルも画一的で、ブームが起きやすい時代ではあったことは間違いない。

 しかし、スキーには特に興味がない人でも、シーズンになると数回はグループやカップルでスキーに行くことが常となっていたことを考えると、当時のスキー場には単なるスポーツレジャー以上の価値が見いだされていたと言える。

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