「JAL = 飛行機」のイメージは大間違い! かつてはなんとリニアモーターカーを開発していた

キーワード :
, ,
リニア中央新幹線は2027年開通に向けて、困難のなか建設が続いている。一見新しい乗り物に思えるが、リニア自体は、1980年代に営業運転を開始していたかもしれないことを、皆さんはご存じだろうか。

JALが研究開発を手がけたリニア

JALの企業ロゴ(画像:日本航空)
JALの企業ロゴ(画像:日本航空)

 リニア中央新幹線は2027年開通に向けて、困難のなか建設が続いている。一見新しい乗り物に思えるが、リニア自体は、1980年代に営業運転を開始していたかもしれないことを、皆さんはご存じだろうか。

 国鉄からJR東海に引き継がれた超電導リニア(超電導磁気浮上式)とは、別の方式で成田空港と都心とをつなぐ――。そんな研究を行っていたのは日本航空(JAL)だった。

 JALが畑違いともいうべき「地上を走る車両」の研究を始めたのは成田国際空港(成田空港)の建設が理由だった。成田空港と都心との距離は約65kmにもかかわらず、開港(1978年5月)を前に交通機関は貧弱だった。

 鉄道は京成本線を延伸し、成田空港駅(現・東成田駅)が建設されたものの、後はバスだけ。当時は、成田空港と羽田空港で国際線・国内線が分割されており、双方を乗り換える場合、長距離を移動しなくてはならなかった。最大4時間もかかると見込まれていた。

 このため、都心と成田空港へのアクセス方法の改善は大きな課題だった。国や国鉄は高速鉄道として、成田新幹線を計画していた。整備計画は1971(昭和46)年に決定され、1976年に工事が始まった。だがその後、工事は中断し、分割民営化後に計画は失効した。

 それとは別に、JALが計画していたのはリニアを使った新路線である。JALがそのために開発したのが「HSST」と呼ばれる車両だった。HSSTとは

「High Speed Surface Transport(高速度地表輸送)」

の略で、常電導磁気浮上システムを使っていた。技術で最も大きな違いは国鉄が開発していたのが「実験車」なのに対して、JALは「実験機」と呼ばれていたことだろう。

全てのコメントを見る