「JAL = 飛行機」のイメージは大間違い! かつてはなんとリニアモーターカーを開発していた

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リニア中央新幹線は2027年開通に向けて、困難のなか建設が続いている。一見新しい乗り物に思えるが、リニア自体は、1980年代に営業運転を開始していたかもしれないことを、皆さんはご存じだろうか。

HSSTに優位性があったワケ

JALのウェブサイト(画像:日本航空)
JALのウェブサイト(画像:日本航空)

 両者の開発が進んでいた1970年代、スピードでは国鉄が優位だったものの、JALのHSSTはすぐに実用化できる優位性があるとされていた。国鉄は最新技術を使っているため10年単位の実験が必要だったが、HSSTは既存技術を応用したものだったのだ。

 HSSTはこの優位性において大いに脚光を浴び、1980年代には営業運転が可能と考えられていた。当時の人口増と都市拡大はそこまで激しかった。早くても10年後とされる国鉄のリニアを待っていれば、土地の開発が進んでしまい、いざ路線を建設しようとしても、用地がなくなってしまうと考えられていた。

 議論の盛り上がりの背景には、リニアによる日本経済のさらなる発展を誰も疑わなかったことがある。現在では、新幹線開通によるストロー現象(地方の人口や資本が大都市に吸い寄せられること)への懸念があるが、日本の将来が右肩上がりと見られていた時代、誰もそんなことを考えなかった。

 少々後の話になるが、1987(昭和62)年に当時の国土庁が全国のリニアの路線構想を調査している。これによれば全国には

・札幌~千歳空港
・大宮~成田空港
・小千谷~柏崎~上越
・東京~名古屋~大阪
・北九州~宮崎~鹿児島

という、五つの構想があった。とりわけ北海道では、全道にリニア路線を張り巡らせて道内を半日で移動できる交通圏が考えられていた。

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