江戸時代に空を飛んだ? 伝説の男「鳥人幸吉」をご存じか
城下町の中心で「飛んだ」男

国産ジェット旅客機として期待された三菱スペースジェット(旧称MRJ)のプロジェクトが凍結されて以降、夢はついえたかに見える日本のジェット旅客機開発(ホンダジェットは米国製)。しかし、日本の航空機開発の歴史は、実は江戸時代からと極めて長い。そんな歴史を知れば、再び国産旅客機開発の情熱も湧いてくるのではなかろうか。
日本で初めて空を飛んだとされるのが、江戸時代の通称「鳥人幸吉」と呼ばれる人。備前国(現岡山県)の人で、同時代の記録では1785(天明5)年3月半ばの午後7時か8時ごろに、地元の旭川にかかる京橋の上から、北に向かって20mほど飛んだとされている。空を飛んだ確実な記録では、世界でも早い部類に属するものだ。
この幸吉という人は、備前国児島郡八浜の船宿・桜屋清兵衛の次男で、岡山に出て表具師に弟子入りして仕事を学んだと伝わっている。根っからアイデアマンだったようで、いろいろと考えているうちに、空を飛ぶ機械を思いついたようだ。この時、幸吉が製作したのは表具師の技術を生かしたグライダーのようなもので、竹を骨組みにして紙と布を張り、柿渋を塗って強度を持たせた翼を用いたとされる。
そして、試してみようと飛んだわけだが、実際に20mも飛んだかは定かでない。現代になり幸吉のグライダーを再現したものを製作し、京橋の上から飛んでみるという実験が行われたこともあるが、ほぼ飛ぶことはなく真っ逆さまに落ちている。実際に、橋の上から飛んでグライダーのように揚力を得ることができるかといえば疑問だ。ともあれ、幸吉が「飛んだ」ということは大いに評判になった。というのも、幸吉が飛んだ京橋というのは、備前岡山藩の城下町の中心地である。旧暦の3月というのは太陽暦の4月から5月ごろになるので、夜でもそこそこ人通りは多かったと思われる。
大勢の人に見てもらうことを目的にしていたのかは定かではないが、結果的にたちまち大評判になり書物に書かれ、浮世絵にまでなった。