江戸時代に空を飛んだ? 伝説の男「鳥人幸吉」をご存じか
日本の航空機開発の歴史は、実は江戸時代からと極めて長い。先人たちの挑戦を紹介する。
所払いになっても再挑戦

ところが、誰に告げるでもなくいきなり空を飛んだものだから、たちまち騒動になってしまった。即座に取り押さえられた幸吉は、岡山藩によって「キリシタン・バテレンのまねをして世を騒がせた」として所払いになってしまったのである。
その後の幸吉の足取りは長らく知られておらず、謎のままであった。それが明らかになったのは1932(昭和7)年のこと。竹内正虎という砲兵大佐が日本の航空史を研究していたところ、駿河(静岡県)の安倍川の河原で「備考斎」という人物が飛んだという記録と、墓を発見したのである。
その後の調査で、幸吉は所払いになった後に、得意先の多田屋野崎武左衛門(岡山で製塩業で財を成した家)の塩船に乗せてもらい、清水港へ。そこから静岡に出て、備前国児島の木綿を扱う店を開業したことが明らかになった。
さらには、手先の器用さを生かして入れ歯師も始めて財を成したが、そうなるとまた飛びたくなったのか、安倍川の河原で飛んだのだという。この時は、うまく立ち回ったのか罪にはならなかったようだ。その後は、時計作りを始めて、さらに繁盛したそうだ。